この本がこれからのわたしにとって、

人生の舵を大きく切り替えすものになるとは、

予想もしていなかった。。

クローバー   クローバー   クローバー   



その本の最初のあたりに、こう書いてあった。



>きみの頭、脳、身体、世界、宇宙全体、それにパラレルワールド、とにかく認識できるものはすべて、心の投影さ。
すべて、たった一つの考えを象徴しているんだ。その考えが何なのかはもう少ししたら話してあげよう。もっとわかりやすくいうなら、
宇宙は夢だと考えればいい<


>話していくうちに、あなたはほんとうの自分を発見するわ。なぜここに来たのか。なぜ、人々はいまみたいに感じ、行動するのか。
なぜ宇宙は何度も同じパターンを繰り返すのか。なぜ人は病むのか。すべての失敗や事故や嗜癖や自然災害の奥にある理由もわかるでしょう。
世界のすべての暴力や犯罪や戦争やテロの真の原因もわかる。すべてに対する唯一の有意義の解決策と応用の仕方もね。<



これは一体何を書いてる本なんだ?!


わたしは、その日からこの本に夢中になり、あっという間に
500ページほどあるこの本を読みきってしまった。
この本が書いてることが、真実かどうかは、あの時のわたしにはわからなかったけれど、
なにか心の奥を呼び覚ます熱いものを感じた。

そして、この中でも「すべて自分の心が投影されている」とはっきり言いきって書いてあった。
これは、もう観念して受け入れた方がいいのか。
が、しかし、あの4年前の出来事も自分がつくったいうことになると、
なぜ、わざわざ、自分が苦しむことを、自分でつくるだろうか。

もうわけが解らなくなってきてしまった。

輪廻転生よりももっと奥深い原因があると書いてあった。

チンプンカンプンな部分もたくさんあったが、
その後、わたしにとってこれらのことが、
確信になっていく出来事が起きたのであった。


わたしはこの本に出会い、訳が解らないまでも、この本で言っている「赦し」を実践していた。
まずは、日常の中で起きてくることがらに、腹をたてたり、悔しかったり、色々な葛藤が湧き上がってきた時に、
これは「起きていないことだから、赦す、そして、この赦しを聖霊に明け渡す」


わたしはこの本に出逢う前までは、聖霊とか守護霊とかには全く興味もなく、信じてもいなかった。
見えない世界のことは、昔、祖父が無くなった時に、祖父の亡骸から、
すうっと光のようなものが見えたというのが唯一の神秘体験であっただけだった。


しかし、それ以外はほとんど、現実主義で生きてきたわたしが今「赦し」をやっているということはあり得ないことだった。
それだけ、その時の自分は何かをやらなければ、今の自分には救いはないと危機感を感じていたからだ。


人は、本当に窮地に追い込まれないと変われないものだと自分を見ていて痛感した。


その「赦し」さえも、あまり意味が解っていたわけではなかった。
しかし、やっていくにつれて、自分の心が少しづつ、前を向きはじめているのがわかった。
生きていくことさえも苦痛に感じ始めていたのに、「希望」という光りが見えかかってきたのだ。
ほんとうに小さな光だったが。
しかし、わたしにはその一点の光が、強烈に感じた。

そして、わたしは再度この本を読み返してみようと読み始めたのだった。
すると、一回目ではわからなかったことが、すうっと腑に落ちていく感じが何度もやってきた。

わたしなりに、再度読み返しながら気づき始めたことは、
わたしたちはこの体が真実ではないということだった。幸いわたしは体は丈夫で病気というものを経験したことがなかった。
そんなわたしが病気にならないできたのも理由が少しわかってきた。それは自分は病気には無縁であると、どこか信じ切っているところがあったからだ。
かと言って、無茶をするということも無く、体に対して全く心配が無いのだ。
それに比べて、金銭的にはすごく恐れがあるのがわかっってきた。

どんなことでも、体も金銭的なことも人間関係の悩みや恐れも、
すべて、たったひとつの原因からきていることを、その本から学んだ。


そのたったひとつの原因とは、神がいて、そしてわたしたち神の子がいる。しかし、10億分の1秒の瞬間に、この神から離れてしまったら。。とよぎってしまった「恐れ」が今のわたしたちの、
すべての悩みや苦悩や不安や戦争や自然災害の根源になっている(錯覚している)
真 実のわたしたちは、今も愛と平和と悦びのなかで生き続けているが、間違った意識の側面では常に生まれ、消滅し、また生まれるという循環作用を繰り返しなが ら、進化・変化していると錯覚しながら、実は同じことを繰り返しをしているだけ。ループ状態のなかでもがいているだけ。



このことを読んでいくにつれて、今まで自分がしてきていたことは全て無駄だったとは思えないが、何かを乗り越えようと頑張ってきたことも、根源の「因」を掴んでいなかったら、また、同じようなことの繰り返しをしてしまう。

わたしはもうこの自分からは卒業したっかた。
経済的に苦しむことももう終わりにしていきたかった。だから、
わたしは本気でこの「赦し」を徹底的にやってみようと決心した。
もう逃げ込んでいく場所もないくらいの状況に追い込まれていたからだ。


ある日、一本の電話がかかってきた。


わたしが食品製造業をやっていた時に、卸していたところの社長さんからだった。
その電話の内容は、

「こ んにちは。どうしているのかと思って電話をしたんですよ。実は今度自然食の商品を扱おうと思って、色んなメーカーさんを探していたんですが、また、あなた にその自然食品を作ってもらえないかと思いましてお電話させてもらいました。あなたの過去は全く、わたしには関係ないんです。あなたの誠実さをわたしは信 頼しています。わたしを応援してくださるという意味でやっていただけないでしょうか。是非お願いします」と。

わたしは、もうその話を聞きながら、こころの奥から尽き上がってくる温かなもので声にならないほどだった。体中がブルブル震えてきて電話を持っている手が小刻みに揺れていた。


そして、我慢しきれなくなり、嗚咽のような声を出して泣いてしまった。その社長さんも、電話口のわたしの様子を察し、この空白の時間を大きな愛で包んでいてくれた。

そんな考えられない状況が起きて、わたしは、また新たなスタートをきることができた。


根源の「因」を落とし込み、すべてがそこからきているという見方をしていき、
「赦し」をやっていくという実践をしながら
聖霊意識からやってくるインスピレーションに耳を傾け歩んでいくことが、
こんなにも自分の中心軸にいられて平安な気持ちになるのかと不思議だった。


まだまだ、ほんのプロローグに立ったばかりだが

この舵の切り替えしはわたしにとって

素晴らしい新たな船出になった



いつもすんなりと物事が進むとは限らないけれど、
悩んでいる時間が以前よりは短くなってきたことは確かで、
わたしにとって幸せの時間が増えたということで
かえがえのないものになった。


そして、何よりも、



わたしたちは



神の子である



ということが、



本当にしあわせでたまらない。


恒に



神に抱かれながら



愛を感じ生きている



今、目の前に広がる大きな海原が



光りと共にハートにじんわりと



染みてくる









       ヒヨコラブラブ