【 奈良県 明日香 の石舞台の古墳 】

***HAPPY & LUCKY Life***


Nちゃんより写メがとどきました~~

パワースポットということなので わたしも少し 調べてみました。

この古墳は飛鳥時代に 勢力を発していた 蘇我馬子(そがのうまこ)
の墓とされているようです。


ちょっと 詳しく知りたい方は 下記をHIYOCO調査隊員が調べましたのでお読みください(^^)
        
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この時代に倭国(倭)から日本へ国号を変えたとされている。巨石を積み上げた横穴式石室古墳で日本最大級のもの。名の由来は、露出した天井石が平らなことなどの諸説がある。蘇我馬子の庭園があったので、馬子の墓だとの説もある。

奈良県明日香村の山際に広がる棚田。その何段分かをならして作った台地に特別史跡の石舞台がドンと座を占めている。7世紀初頭に造られたと考えられる古墳の玄室(棺(ひつぎ)を収める場所)で、

石室の高さは最高で7・7メートル、縦は羨道(せんどう)(玄室と外部をつなぐ道)を含めて19メートル、横幅は最長で9メートル。組み上げた石の最大のものは77トンと推定され、見る者を圧倒せずにはおかない存在感を持つ。

 墓の主は、「おそらく蘇我馬子」とされている。『日本書紀』推古天皇34年(626年)の条「大臣(馬子)薨(こう)せぬ。仍(よ)りて桃原墓に葬る」などの記述によって、墓の位置も石舞台のあたりと推定さ

れており、状況証拠は十分に積み重ねられてきた。馬子と確定できないのは、墓誌(死者の事跡を記した石や金属)が発見されないからだ

飛鳥時代(あすかじだい)は、古墳時代の終末期と重なるが、6世紀の終わり頃から8世紀初頭にかけて飛鳥に宮・都が置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つ。狭義には、崇峻5年

(592年)から持統天皇8年(694年)の藤原京への移転までの、約102年間を飛鳥時代と称している。 以前は、古墳時代と合わせて大和時代とされていた時期があったが、今日では古墳時代と飛鳥

時代に分けて捉えるのが一般的である。推古朝に飛鳥文化、天武・持統朝に白鳳文化が華開いた時代でもある。


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まあ~こんな感じです。
歴史を 紐解いていくと なんだか ふしぎで 神秘ですよね

5,6世紀ころっていわれても…感じですが
もしかして そのときに 前世で 活躍していたかたが

このブログを読んでなんか~ピ~ンときていたり…(ふふふ…)
わかりませんよね!?

そういえば わたしのふるさとにも 古墳があるんです。
「つくりやま古墳」と言って全国で9番目に大きい前頭後円墳です。

わたしは幼きころ その古墳の近くにある 保育園に
行ってました。お昼を食べると そのあと必ずお昼ねタイムで

そこはお寺だったんですが開けっ放しで風がすごく気持ちよく
セミがミ~ンミ~ンと啼いていて 冷たい床が気持ちよくて…

いま思い返すと なんと贅沢なところに
住んでいたのかと思います

やはり、奈良県の大和路や明日香村のような田園風景で
「吉備」の里ともいい いまは 観光の場所にもなっています

よろしければネットで検索してみてください。
また 帰郷した際には 写真で紹介させてもらいますね

きょうはNちゃんがたまたま送ってくれた写メで
なつかしい 思い出がよみがえってきました

    ありがとう~~~~~
           THANK YOU ~~


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