『舞う剱。運ばれる身体』 


所属している僕が言うのも何なのですが、桜月流の剱舞(殺陣)は独創的だと思います。僕の知る限りの他の殺陣を行っている団体とは明らかに異なった技術と理論をもって身体を使い、剱を振っているために、結果として剱舞(殺陣)の演技全体が独創的な動きとなっているのだと思います。

 

当流の宗家が申しているように『剱を手にして動く時、その動きひとつひとつがサヲシカな風(清々しい風)を起こすような力を持ちたい』という思いは、自分ども共通の憧れです。

 

『風を起こす』ためには『空気を押す』身体が必要で、空気を押す身体というのは全身がその運動のために一丸となって動いている必要があるのではないかと思っています。

 

人間が集まって出来た団体、会社なども同じような原理で動いているのではないかと思うのですが、何かひとつの目標に向かって全体が一丸となって動く際は、きっと部署ごとに、課ごとに、担当ごとに、全体が同時に様々な方向に向かって全く異なった活動をして行き、その動きは一見バラバラのように見えて、実はその様々な方向への各々の分担が互いの動きを支え合い、一番効果的に全体を動かして行くのではないかと思うのです。

 

それは、ひとりで剱を振る際の全身の動きも同じ原理だと思うのです。

 

剱を一振りする際、その一振りという目標に向かって、全身が様々な方向に向かって、それぞれの部分の役割に応じて、様々な動きを同時に行い、一見反対の方向に動く身体の部分などもあるのですが、実は全身のそれぞれが互いを支え合い、剱を一振りするために一番効果的な動きを行うことが理想だと思うのです。

 

それは、複数の人間で剱舞(殺陣)の振付を演じる場合も同じ原理だと思うのです。参加した全員が各々の役割に応じて、様々な動きを同時に行い、互いの動きを支え合い、ひとつの目標に向かって機能し合う、という一体感が大切だと思うのです。

 

そして、その全体の一体感はひとりずつが自分自身の一体感を獲得した上で全体の一体化へ参加することによって更に高められると思います。

 

まずは自分の一体感を獲得すること。自分の全身の一体化は『風を起こす』ために必要な身体性をもたらしてくれるのではないかと思います。

 

そして、一体化された個人が集った複数の剱舞(殺陣)は、全員が一丸となった一体化をもたらすと思います。

 

一見、様々な方向に動くそれぞれの部分、しかし、互いにそれぞれの役割を認識して、互いがその多様性に支えられている事を把握しつつ、共通の、ひとつの目標に向かって機能する。

 

そんな剱舞(殺陣)を桜月流は目指しています。