長らくご無沙汰していました。今年もよろしくお願いいたします。
久しぶりに芥川賞の候補作を全作品読みました。1/11(土)に文学仲間と集まり、合評をし、それぞれが良いと思う作品に上から5~1の点数をつけ、合計点でベストを選ぶという【芥川龍之介賞・勝手に選考会】を開催。今回の参加者は10名なので全員が5点をつけると50点になります。
今回の候補作は以下の通りです。
木村友祐 『幼な子の聖戦』(すばる11月号)
髙尾長良 『音に聞く』(文學界9月号)
千葉雅也 『デッドライン』(新潮9月号)
乗代雄介 『最高の任務』(群像12月号)
古川真人 『背高泡立草』(すばる10月号)
わたしが良いと評価した順に簡単な感想を書きます。
※5点※
古川真人 『背高泡立草』
舞台はやはり今回も九州長崎の島で、「吉川家サーガ」ともいえる作品なのだが、今回は今までの作品と一線を画す。ひとりの人物の記憶を綴るのではなく、島全体の記憶ともいうべき広がりがあり、世界に向かって開いている。現在時制では、ただ親戚が集まって島にある今は使われていない納屋の草刈りをする、というだけのストーリーなのだが、現在時制と交互に描かれている過去のエピソードによって、小さな場に時間軸に深まりが生まれ、さらに空間的な広がりまで与えている。
過去パートと現在時は、たとえば「満州移住」「遭難者」「捕鯨」「カヌー」などの小さなキーワードで結ばれており、現在と確かにつながっているという実感がある。それぞれのパートに短い副題がついているので、違う世界が描かれているとわかるため、すっとその世界に入っていける構造も読者に親切だ。
小舟に乗って半島を目指す人たちが海難事故に遭い、助けられる話は迫力と臨場感があった。ここまで話を広げるのか、と驚くとともに「ああ、今までと同じ素材を扱いながら、こんなにも豊かで広がりのある作品になるのだ」と感銘を受けた。ほかの作品が自分探しであったり、家族との関係性であったりを描くなかで、古川さんが描くのは島の記憶というモチーフを用いながら、「人間の力が遠く及ばない自然に向き合う人の姿」を感じとった。「自然」は「神」に置き換えられる。
納屋のまわりを草刈りをしたあと、どんな種類の植物があったかを娘が母に尋ねる場面がある。「背高泡立草」は外来種の図々しく憎たらしい雑草で、ひっそり咲く日本古来の雑草は駆逐されてしまう。人間が草刈りしてもまた、すぐに大きくなる。それをまた刈る人間。堂々巡りなのだが、そうして島の人たちは生きてきたのだ。
海に囲まれ自然の脅威にさらされている島の生活。満州に移住する人たちも、遭難して島の人たちに助けられた人も、命がけで捕鯨をする人も、すべてが海に関係したエピソードだ。小さな島でも海は世界に向かって開いている。自然に向かって懸命に生きる過去の人たちと、今現在島で草刈りをする人たちは結局のところ「自然に対峙する」という点において同じだと感じた。
そして、草刈りもふくめて「ひとり」で自然に向き合うのではなく、「チーム」で動いていることも素敵だ。草刈りは娘が母親に「なぜ使わない納屋の草刈りをする必要がある?」と尋ねるシーンがある。母親のほうは、刈るのが当然でそこに明確な理屈などない、という。無理やり島に連れて来られた娘たちもしぶしぶ草刈りに参加する。そうやって、受け継がれていくのだな、と腑に落ちる。
人間はそうやって生きてきたのだ……としみじみと感じさせてもらえた。
<<5・5・5・5・5・4・5・4・3・4 合計45点 全体1位>>
ほぼ全員一致で、素晴らしい作品であるという感想だった。
※4点※
髙尾長良 『音に聞く』
この作者は古川さんと反対に多彩な作品を書く。今回はウィーンが舞台で、天才肌の作曲家の妹(真名)を持つ翻訳家の姉(有智子)の20年前に書かれた手記という形式の作品。一見額縁構造に見えるが、現在時の手記を読む人のところにラストで帰ってこない。手記は誰の手に渡るかわからないし、それは読者のわたしかもしれず、入れ替わりは可能なのだ。
いくつかの対立……音と言葉、姉と妹、日本語とドイツ語を通して、言葉の限界にチャンレンジした作品じゃないかと感じる。母を喪った姉妹は、妹を作曲家として飛躍させるために、今まで一緒に暮らしてこなかった父を訪ねてウィーンに来る。音楽理論の専門家である父は、有智子にいう。「音は言葉に対して痛々しいほど優位を誇っています。Wort oder Ton(言葉か音か)という二項対立を語ることさえ、無粋というものです。」言葉を繰るのが仕事の有智子は、言葉を喪う。
有智子が書いた手記は、父と真名が共有する音の世界への挑戦状かもしれない。しかし、いくら音を描くための凝った描写を重ねても、手記を読む人の心に繊細の一音の響きを届けることはできない。ウィーンの街並み、ウィーンに住む人々の姿、五十音という制約のある日本語と自由に広がる音を持つドイツ語、などなどが細密に描かれる。高尾さんの筆力は今回の5作品の中でも飛びぬけていると感じた。また、ドイツ語を耳にする、という環境が必要なのでウィーンを舞台にした必然性がある。細部に張り巡らされた作者の心。
有智子の人生の断片が綴られた手記は時代を超えて人の手に渡る。それこそが、「言葉の力」なのではないか? 消えてしまう音に対して時を超えて色褪せずに届けられる書かれた言葉。父と娘の話でもあり、言葉というものの限界と可能性について書かれた作品だと思う。
<<4・1・4・1・2・1・1・1・1・5 合計21点 全体4位>>
これほど評価がわかれる作品も珍しい。外見しか書けていない、手記の必然性が感じられず誤魔化しの装置になっている、などの厳しい意見があった。
※3点※
千葉雅也 『デッドライン』
みんなと批評する前は2点をつけていた。哲学で語りきれないことを、ゲイの話をからめて無理やり小説で伝えようとした、と感じた。文章もまずい。何より主人公の名前がないのが許せない。他人から呼びかけられたときに「〇〇くんは、どう?」のようにイニシャルですらなく、完全に伏字なのだ。きっと何か意味があるのだろうが、効果的だとは思えなかった。
だが、ほかの人の感想を聞いているうちに考えが変わっていった。幼稚園の頃から他人に距離をとられてきた主人公が、他者との距離や交わり方について模索していく切実な想いを表現している作品なのだ、という考えに変わっていった。自分の体験をもとにした私小説だ、という人がいた。そうなのかもしれない、と思う。だから、とりとめがない。作者の約20年前の出来事。記憶は断片化し、時の経過を失う。どちらが先に起きたことなのかわからなくなる。
とにかく、いろいろなエピソードの断片が脈絡なく現れる。作者のなかには計算があるのかもしれないが、わたしにとっては断片でしかないのだが、だんだん像を結んでいった。哲学では答えが見つからない自分探し。ゲイのSEXシーンもあるが、官能的ではなく乾いている。その乾いた感じそのものが名前のない彼と他者との距離なのかもしれない。
<<3・4・3・2・3・3・3・3・2・2 合計28点 全体3位>>
3点が多い……というのは、可もなく不可もなし、ということ?
※2点※
乗代雄介 『最高の任務』
23歳の景子は仲の良かった叔母のゆき江ちゃんを2年前に亡くす。叔母との思い出を過去に書いた日記を追いかけるカタチで追想する。大学の卒業を迎える景子と両親、弟の出来事が現在時で綴られていく。とてもあたたかくて、やさしい気持ちにさせてくれる作品。過去を現在に持ってくるツールとして自分が書いた日記をうまく使っている。装置として小学校5年生のときにノートをくれた叔母の「お願いだからくれぐれも」と前置きして「私に読まれないようにね」という言葉がある。それによって日記を書くときに常に叔母の存在を意識することになる……とは小学生の景子は思わなかっただろう。
美少女から美しい大人の女性になった景子や、やさしすぎる両親、思いやりのある弟など、何か作り物のような感じがあった。良い話ではあるのだが、良い人すぎる人しか登場しないので、一種のファンタジーだと思ってしまった。「ねじり棒」や「アザミ」など随所に伏線が張られているのをうまく回収されている。
しかながら、主人公がなぜ美少女である必要があったのか? 純粋さを美少女に求めるのは世のおじさんたちの願望ではないのか? という意見が出たが、わたしもまったく同感。さらに、叔母が亡くなったあと景子は大学に行けなくなり、休学するという設定だが、叔母の死因は後半で癌だとわかる。てっきり自殺か交通事故などの急死だと思っていた。なぜなら癌というのは、患者本人だけでなく遺される者もまた死を覚悟する時間が与えられるから、亡くなったからといってそこまで打ちのめされるのは極めて不自然。
「最高の任務」というかたいタイトルがあっていないし、何を意味するかわからない、という意見が出た。わたしの独断と偏見に満ちた考えは、小学校5年生でひねくれた女の子に手を焼いた両親が、ゆき江ちゃんに自分の娘を託したのではないか?というもの。景子の任務ではなく、ゆき江ちゃんの任務……。なんともいえない作り物のにおいが最後まで消えなかった。
<<2・3・2・4・4・5・4・5・4・3 合計38点 全体2位>>
泣いた、という感想があった。そうか、わたしが「ねじり棒」でたたかれなきゃいけないほど、ひねくれているのかもしれない。
※1点※
木村友祐 『幼な子の聖戦』
気楽に読めて、スピード感もありエンタメ的にいちばん楽しめた作品。女性問題や地方の在り方などの問題は入っているものの、ずいぶん昔からいわれていることなので目新しさは感じない。だけど、下ネタによって追いつめられる主人公の間抜けさや滑稽さがおもしろくもある。全体的に演劇っぽい感じがした。
正義のヒーローは、魅力があってかっこよすぎる。悪役担当の県会議員は、とことん悪者だが、アホすぎて話にならない。人間って良い人は良いところばかりじゃないし、悪者にもほろっとさせられる部分があってもいい。結局人間を描くべき作品なのに描けていない、ということになるのかもしれない。
<<1・2・1・3・1・2・2・2・5・1 合計20点 全体5位>>
地方の問題はさんざん取り上げられており、ドキュメンタリー番組に負けているという感想があった。
※※※
候補作を読んで先に予想するというのは、本当に楽しいし、同じ作品を読んでも感想がバラバラになることを知るのは、大阪文学学校のチューターをやるうえで勉強になります。わたしが1点をつけた『幼な子の聖戦』に5点をつける人もいるのだから。合計点を出すだけでなく、選考委員の顔ぶれを考えて、何が受賞するかを想像する、ということもやっています。そちらもダントツで、『背高泡立草』でしたが、わたしとあと2人が『デッドライン』が同時受賞になるのでは?と予想しました。
おしまい。