久しぶりのアメブロです。奄美大島はじめいろいろ旅もしているのにまったく書けていません。またアップします。

石原慎太郎著『凶獣』を女子シネマ倶楽部のお仲間が「読んだからあげる!」と言われていただきました。帯にあるように、2001年に起きた池田市の小学校に侵入し、児童8名を殺し、15名に重軽傷を負わせた宅間守の内面に迫ろうという2/3ノンフィクション、1/3フィクションの著作です。

 

すでに事件から18年もの年月が経過しました。あの頃わたしは驚愕とともにこの事件を知りましたが、宅間守がどういった人物であるかを知ろうとはしませんでした。たぶん今ほど、人間の内面に興味がなかったからかもしれません。ただただ小学校1~2年生という小さな子どもたちが殺されたという事実と、その現場に直面したであろう子どもたちのこれから抱えるはずのトラウマに心が痛みました。

 

でも、今は違います。わたしも歳を重ね、小説を書き続けているので、あらためて宅間守という人物を突き付けられたとき、「なぜ?」という想いが突き上げてきました。85歳の石原慎太郎氏は、著書の最後に「人生の大方を過ごし八十半ばの老年にある私が、まだ幼年にあった多くの者を一方的に殺戮し、己も人生の半ばにして殺人者として処刑された異形な男の引き起こした出来事に旋律し、その意味を悟り、それを通じて人間の運命といおうか人間の人間としての存在の意味の深淵に少しでも触れたいと願ったのは、私自身が己の「死」を強く意識する年齢に至ったせいかもしれぬ」と書かれています。

 

文章のなかで、しきりにDNAと生い立ちのことに触れています。一方で人間の力ではいかんともしがたい「神の所業」だとも。とても理解できないのです。石原慎太郎氏も自分を納得させたくて、この事件をあらためて調べたのだろうと推察します。宅間守の幼年期から始まります。五歳の時、三輪車で国土の真ん中を走り出し大渋滞を引き起こした事件。母親が彼を妊娠したとき、何故かしきりにこの子どもを堕したいと夫に訴えたというエピソード。

 

十六歳で教師を殴り、バイクで家出。戻ったものの高校を退学し、十七歳で強姦未遂。このあと、彼は何度も強姦していますが、表沙汰になったのはたった数件で、おそらくその何十倍もの強姦が闇に葬られることに。そのことは捕まってのちの臨床心理士との会話で明らかになりました。いろいろな事件がありましたが、その何度かは精神病院に逃げ込むことで捕まらずにすんでいます。

 

彼はあの事件までに4回も結婚しています。2度目の結婚相手は、20歳年上の小松左京氏の実の妹さんだったそうで、このことを石原氏は書きたてています。(ちょっとここは異様でした。隠すべきではないでしょうか?)3度目の結婚相手への執着が異常で、彼女が彼の子どもを堕胎し、離婚に至ってからも何度も彼女につきまとっています。ストーカーが嫌なら、俺に振り向け、というのが彼の論理だそうです。

 

わたしが恐ろしかったのが、裁判での判事とのやりとりです。判事が「テレクラの女性から告訴されたことについて自分としたら何か思いを深めたということがありますか?」と問い、宅間は「女の嘘を鵜呑みにして、ようあんな簡単に警察が逮捕するもんやなと思うて。金やる言うて金やらんかった、契約不履行しただけのことやのに、それを嘘っぱち言うたことを真に受けて、日本の警察があんなに簡単に逮捕するもんやなと思うた」と。これは、宅間が女性にお金を払わず、強姦で捕まったときのことです。

 

宅間は学びます。「金やる言うたら、五千円でも払とったらよかったな思うて」と。それまで、平成4年~13年までの間にそうやってテレクラでお金を踏み倒してきたことが30~50回あったそうです。被害届を出されたのは、捕まったときの1回きり。この経験で学んだことは、お金を払うということ…。

 

宅間は結婚以外に75歳の女性と養子縁組もしています。なぜ、養子縁組したのか?という問いに対して、「何か食べる物作ってくれるし、年寄りお割にはけっこう頭がはしってることもあるし」と。宅間は結婚した人たちのことを「大切やった」と語っています。判事から「なぜ大切だったか?」と問われ、「自分と結婚したからです」と回答。さらに、「それは結果だよね、結婚してくれたというのは、どういうところがあったから、どういういうことをしてくれたから大切だと思ったということがありますか」と判事は尋ねます。宅間は「食べる物を作ってくれるからです」「その他には」との問いに「性的処理をさしてくれるからです」と答え、さらに「その他には」と聞かれて「思いつけへん」と答えました。

 

わたしがこの本の中身で一番ぞっとしたのは、この部分でした。食欲と性欲を満たす相手ならだれでも大切。性格とかは関係ないらしいです。人生は何のためにあるのか、ということについて「快楽を味わうためにあるんだ」と宅間は語りました。

 

石原慎太郎氏は臨床心理士や担当された弁護士とのインタビューをおこない、いろいろなことを聞いた結果、どういう結論に辿り着いたかは、タイトルが示しているのではないかと思います。「凶獣」…でも、わたしは、それは獣に対して失礼ではないかと思いました。獣は無駄な狩りはしない、「凶」はいないのではないか、と。出自と環境…何度も出てくる言葉は、石原氏がそこに理由を収束させたいと考えているように感じます。でも、それは違うと思いたい。物心ついたときから、モンスターだった、と石原氏は書いています。宅間自身もそう語っているからです。宅間の脳の前頭葉には血流異常があったそうですが、脳を開くわけにもいかず言及されていません。

 

宅間は獄中結婚しているのですが、石原氏はその女性に対しても批判的です。彼女が死刑廃止論者だったからで、石原氏は死刑をしないなどありえない、と考えておられるようです。彼女のことを臨床心理士や弁護士に何度も繰り返し「売名行為だったのでは?」と尋ねています。宅間の心が死刑判決がでたのち、安らかな気持ちなり、被害者や遺族の気持ちに寄り添えるように、などは考えられないのでしょう。もしも自分が被害者の親だったら裁判中でも敵討ちしていた、と言っています。敵討ちを正しい、と心の底から思っているみたいで、それもまた恐ろしく、こうして負は連鎖していくのだな、と思うと寒々してきました。

 

たしかに、父親による母や自分への暴力はあったようで、それが宅間というモンスターを目覚めさせた要因だったかもしれません。だけど、いったん目覚めたモンスターをなだめる方法はなかったのでしょうか。けっして宅間には同情することなどありませんが、第二第三の宅間がその後も生まれたことを考えると、わたし達市民はどうしたらいいのか、と考えて暗澹たる気持ちになりました。ただただ恐ろしいし、宅間が獄中結婚も入れれば5回も結婚できたのはなぜだろう?とも考えます。なんというか、人は弱いところがあったときに宅間の悪のオーラにからめとられるのかもしれない、と考えて、そこもまた怖い部分でした。