夏休み最終日、元女子シネマクラブの集いが某宅でありました。食べたいもの、飲みたいものを持ち寄り、某宅主のオリジナルタコライスをいただきました。15時に集合して映画を2本観るという長丁場。
1本目が『アモーレス・ペロス』、役所広司、菊池凜子が出演した『バベル』の監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの監督デビュー作です。某宅主のおススメです。わたしはまったく知らない映画でした。(ちなみにもう1本は『後妻業の女』)
以下KINENOTEからの引用です。
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=32777#cont_movie
解説
メキシコシティーを舞台に、狂おしい愛の悲劇を三部構成で描く衝撃作。監督・製作はこれがデビューとなるアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。美術は「ムーラン・ルージュ」のブリジット・ブロシュ。出演はこれがデビューとなるガエル・ガルシア・ベルナルほか。2000年カンヌ国際映画祭批評家週間グランプリ、東京国際映画祭グランプリ、監督賞など多数受賞。
あらすじ
〈第1話〉ダウンタウンに住む青年オクタヴィオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)。兄のラミロ(マルコ・ペレス)は強盗で、妻のスサナ(ヴァネッサ・バウチェ)につらく当たっている。オクタヴィオの夢はスサナと共にこの街から逃げ出すこと。彼は闘犬で金を稼ぎ、兄に黙ってスサナに渡す。彼と彼女は愛し合いながらも、スサナは街を出ようとしない。苛立つオクタヴィオは、闘犬場で自分の犬がハロチョ(グスターヴォ・サンチェス・パラ)に殺されたことに怒り、彼にナイフを突き立て車で逃走。そして交通事故。一方ラミロは、警官に撃たれて死亡。葬式でオクタヴィオはもう一度スサナを誘うが、日曜の朝、待ち合わせの場所にスサナは現われなかった。
〈第2話〉ヴァレリア(ゴヤ・トレド)はスペインから来たスーパーモデル。不倫相手の広告デザイナー、ダニエル(アルヴァロ・ゲレロ)が妻との別居を決意し、幸せな生活が始まろうとしていた矢先、交通事故で瀕死の重傷を負ってしまう。仕事の契約を切られた彼女は、ダニエルとの口論が続く日々。しかも脚の傷が悪化し、切断しなければならなくなってしまった。脚を失ったヴァレリアが家に帰ってくると、窓の外には自分のポスターが取り外された建物があった。
〈第3話〉元大学教授でありながら、いまは殺し屋にまで落ちぶれた老人エル・チーヴォ(エミリオ・エチェヴァリア)は、廃墟のような家でたくさんの犬に囲まれて暮らしている。何日も殺す相手を尾行する日々の一方、彼は昔捨てた自分の娘マル(ルルデス・エチェヴァリア)のあとも追っていた。やがて老人は、旅の身仕度を整え、マルの家を黙って訪ねる。そして稼いだ金をそっと置き、留守録に自分が父であることを名乗った。彼の傍らには、交通事故の現場で拾って助けてやった黒い犬が寄り添っているのだった。
『バベル』もそうなのですが、関係のなさそうな話が微妙に関わり、時間軸も前後する描き方で進んでいきます。
上のあらすじで、1話、2話…とありますが、連作短編のような描き方ではありません。
たくさん犬が出てくるなあ、と思ったら映画の題名の『アモーレス・ペロス』とは「犬のような愛」という意味だとあとで教えてもらいました。
この映画にとってとにかく犬は重要です。何頭も死にます。麻酔をかけて、くたっとなったところに血がぺっとり…という場面が数え切れないほど出てきます。特に1話の兄弟と暮らす「コフィー」という犬がある意味主役みたいな感じです。
平和に暮らしていたコフィーは弟の欲望のために、闘犬として戦いお金を稼ぎます。
めっぽう強いのです。
某宅主に教えてもらって「最強の犬」で検索したら、写真が見つかりました。「ロットワイラー」という犬種です。この犬、よく見れば目がたれ目で優しい感じなので、侮られるのです。
だけど、めちゃくちゃ強い。そして、飼い主が喜ぶから簡単に対峙した犬を殺します。
それが第3話での悲劇につながるのですが…
このメキシコ映画には、殺し屋から売れっ子モデルまでさまざまなステージで生きる人たちが出てきます。そして、誰も彼もが自分の欲望に対して正直です。ラテン系気質というか、我慢を知りません。すぐにキレます。
それぞれの話の歯車がぶつかる瞬間があります…
第1話の主人公と第2話の主人公が、交差点で事故ったために、起きる悲劇。そして第3話の主人公の歯車もそこでぶつかります。
たった1点での関わりなのに、小さな波が大きくなるように広がっていく感覚があります。
第2話の犬は、「リッチー」という名の小さいあかんたれの室内犬です。高級マンションなのに、なぜか床が抜け(日本では欠陥住宅で大問題になりそうなのに、メキシコでは修理代がないから修理しない、とほったらかしです)、その穴に落ち込んだリッチーのせいで、大げんかになって、結局そのために、モデルの女性はえらい災難をこうむります。
「犬のような愛」コフィーは主人公に忠実です。犬を殺すことが愛の証のようです。
第3話の主人公は、殺人やらなんやらまともでない(日本なら「汚れた」という表現を使いそうです)方法で稼いだお金を、過去に別れてしまった娘の家に忍び込み、あげようとします。事故現場で瀕死の状態だったコフィーはこの第3話の主人公に助けられます。
人は殺すけど、殺されそうになって瀕死の犬は助けるのです。
そして、犬は新たな主人の忠犬になります。コフィーは主人を喜ばせるために、一緒にいた犬たちを皆殺しにします。
とにかく『バベル』もそうですが、日本人の常識やら感性で理解しようとしても無駄です。
でも、ずーっと何かが引っかかって気になります。
何かがありそうで、掴めそうで掴めない…そんなもどかしさを感じながら映像のスピードと強烈なイメージに巻き込まれ、振り回される感じがとってもいいです。
あっ!もしかしたら…これを書いていてだんだん考えがまとまってきました。
「コフィー」の主人への愛し方が、第1話の闘犬して自分が事故にあっても義姉と一緒になりたいと願った「オクタヴィオ」と第3話の汚いことをしても娘に会って、父親であることを知ってもらいたいと願った「エル・チーヴォ」に似ているかもしれません。
だから、「犬のような愛」なのかも。それとは対照的なのが、第2話のスーパーモデルと不倫していた広告デザイナーのダニエルです。モデルが怪我をしたら、奥さんのところに無言電話をかけたりしていました。
まさに「犬に劣る愛」です。
ちなみに、最強の犬ランキング1位になっていた犬はこんな犬。
コーカシアン・シェパード・ドッグという種類だそうです。
社会性を訓練されなかったら危険らしいので、気をつけてください。
(わたしは見たことありません)