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桜の季節もそろそろ終わりそうですね。
わたしは昨年、桜のことをいろいろ調べました。そのなかで、日本三大桜のことを知りました。三春の滝桜(福島県)、山高神代桜(山梨県)そして根尾の淡墨桜(岐阜県)の3ヶ所です。
 
そのなかで、根尾の淡墨桜にもっとも惹かれました。
そのわけは、ここにこの桜があることの伝説と、1500年も生き続けさせるためにたくさんの人たちの計り知れない尽力があったからです。
 
(以下本巣市HPを参考にさせていただき抜粋しました。)
 
その伝説とは、26代継体天皇にまつわるものです。
今から約1550年前皇位継承をめぐる争いが起きました。継体天皇は巻き込まれ、生後わずか50日で美濃の山奥でひっそりと育てられました。
村人たちは生活が苦しいなか継体天皇を育てあげました。継体天皇は無事に成人して、目子姫と結婚し二人の皇子が生まれたのです。
 
その後、都からの使いがやってきて継体天皇は、村を離れて即位されます。
村を離れるときに、皇子の産殿を焼き払ったあとに、1本の桜の苗木を植え、歌を遺されました。
「身の代と遺す桜は薄住よ 千代に其の名を栄盛に止むる」
 
このときの桜が、時空を超えて今に生き続けています。
淡墨桜は、桜の全種300余種の内でも名花中の上位にあると云われる品種です。
蕾のときは薄いピンク、満開では白色、散りぎわには特異の淡い墨色を帯びてきます。
 
今まで、なんども、苦難が訪れました。
 
最初に衰えを見せ始めたのは、大正初期の大雪でのせいでした。太さ約4mの一の枝が折れ、本幹に亀裂が生じたのです。村でなんとか保護することができました。
次に、昭和23年頃に遂に枯死するかとも思われる状態になりました。3年以内に枯死は免れないだろうとの認定がされましたが、岐阜の多数の有志の協力があって保存会が設立されたのです。岐阜市の医師である前田利行氏を筆頭に詳細な調査をした結果、238本の根接ぎが行われ、命を繋ぎました。
 
昭和34年9月の伊勢湾台風は、この老木に大きな被害を与えました。太い枝が折れ、葉や小枝は殆どもぎ取られ無残な姿になってしまいました。根尾村では、早速支柱を増し、施肥にも十分配慮を払ってきたが樹勢の回復は遅々として進みませんでした。

昭和42年4月11日に作家宇野千代女史が村を訪れました。
侘びしく立っているこの老桜の痛々しい姿に心をうたれ、グラビア紙太陽の昭和43年4月号にその感想文を発表すると共に、岐阜県知事平野三郎氏に書簡を寄せられ、何とかこの淡墨桜が枯死するのを防いで頂きたい旨を切々と訴えられました。
 
このことをきっかけに、様々な人達が動き始めて、国・県からの補助金が交付されるようになりました。近年では技術の進歩によって、平成元年に延命手術を施して以来、8年度までに4回の手術を行いました。これは保護増殖を目的とした手術で、桜本来の生命力を甦らせ樹勢を回復させるものです。

このように多数の人々の努力によって、不死鳥のごとく老桜は蘇りました。
このエピソードを知って、今度の春は必ず観に行こうと心に決めました。
 
 
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淡墨桜の開花はその年の気候で毎年変わり、約10日ほどの変動があります。
4月の最初の日曜日くらいが見頃のことが多いので、その頃に行きたかったのですが、予定があわずに、泣く泣く4/15~16で行くことにしました。
 
毎日、HPで開花状況を見ました。一日、また一日と去年の開花日から遅れていきました。
満開を迎えたのは4/10でした。
もしかしたら、観ることができるかもしれない、と期待がふくらみました。
 
15(土)の昼前に着いたときは雨… 
ですがお昼ご飯の味噌カツを食べている間にみるみる晴れていったのです。
 
そしてとうとう会えました。
ソメイヨシノの艶やかさを見慣れた目には、地味に映りましたが、なんともいえない妖気のようなものが漂っていて、ただただ感動しました。よくぞ、ここまで生き続けたと。
 
天皇陛下のお手植えという伝説を持つ桜は、地域の人たちにとってまさに宝だったことでしょう。今までどれほどの人たちがこの木を愛でてきたのか、想像もつきません。
1500年も前から脈々と続く、この淡墨桜を愛する人たちの想いが、生きる糧になっているのではないかと感じさせられました。
 
裏側から見ると、太い幹に大きな空洞がありました。
でも、なお花を咲かせてくれる淡墨桜…
大正12年に接木された二世の樹がありました。これもまた生き続けて欲しいものです。
 
そこから、郡上の明宝に移動して、料理旅館みずかみに宿泊しました。飛騨牛が自慢のお宿です。
びっくりするくらい美味しいお肉を食べさせてもらいました。
しかもお値段はリーズナブル。
 
 
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お肉のほかに、清らかな水で育てられたあまごの焼きものとフライもありました。
たらの芽をふきのとうの天麩羅が、春そのものを食べている感じでした。
 
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日曜日の朝、お部屋の窓から見た景色が一幅の絵のようでした。
山の重なりや木々と池の配置が美しくて、見ていて飽きません。
右手に見える建物は、古民家を移築した本館です。
 
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大きな水音が聞こえるので、右側のほうの崖をおりてみました。
美しい渓流が現われました。
 
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道端で、つくしやふきのとうが春を告げていました。
 
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お宿を出て、郡上八幡に行きました。ちょうど春祭りで活気がありました。
郡上八幡は全国的に食品サンプルで有名です。
芸術品みたいなサンプルがいっぱいあり、外国人のお客様がたくさん体験していました。
 
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郡上八幡は「水のまち」と言われています。

長良川の上流に位置し、奥美濃の山々から流れ出た吉田川、小駄良川など三つの川が合流するところにあります。恵まれた地形を生かした清流の文化を育んでいます。

水の美味しいところは、食べ物もおいしい。

お昼はお蕎麦をいただきました。

 

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わたしは鍾乳洞が大好きなので、大滝鍾乳洞にも行きました。
ここは東海地方随一だそうです。山の上までロープウェイで上がって、中に入ります。
地下…というか山の中だと思うのですが、そこに約30mの滝がありました。
こういう鍾乳洞は不思議です。
郡上八幡が「水のまち」だと言うことをここでも実感しました。
 
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郡上八幡~美濃市に行きました。
実は、わたしが生まれたときの本籍地は美濃市なんです。まったく行ったことはないのですが、せっかく岐阜に行くので、ふとルーツが知りたくなりました。本籍は、岐阜県美濃市○○○○(○には数字が入ります)。こんな簡単な住所他に知りません。今は、○○町と町名が入るようなので、前もって市役所に電話して調べました。
 
この写真のあたりです。もう本籍地の番地には、誰も住んでいませんでした。空が広い。
亡くなった父方の祖母の地です。父が祖母の実家のあとを継いだのです。
 
なんというか、質素のなかに一本筋の通ったようなきりっとしたものを感じました。整然としています。お家の外にこまこまと飾りがあり、それにまったく埃もかぶっていない。
なんとなく、ほっとする気がしました。祖母のことを思い出しました。この街のような女性でした。
 
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岐阜県の人は、日本でいちばんお花見をよくするといわれているそうです。
それを裏付けるように、いたるところで桜を見ました。色も多彩でした。
 
また、元気にがんばって、来年もどこかでお花見をしたいものです。
(長々と読んでいただき、ありがとうございました。)