桐野夏生さんが大好きで、本がでたら必ず読んでいた時期がありました。特に好きなのは『グロテスク』と『残虐記』。
もちろん、桐野夏生さんを一躍有名にした『OUT』は外せません。
2010年2月初版の『ナニカアル』では、まるで林芙美子が憑依したような文体に触れて、どこか今までわたしが考えたこともないような世界に行こうとしているような気がしました。
小説家ではなく、文学者として。
『OUT』と対を成すタイトルの『IN』では、島尾敏夫の妻、ミホの狂気を感じました。
以下は『我等同じ船に乗り 心に残る物語』に桐野夏生編の説明をAmazonのサイトから引用したものです。
このラインナップを見れば、わたしが桐野夏生が好きな理由が見えてきます。
なぜなら、そこにはわたしの心にナニカを残す作家ばかりが並んでいるから。
もちろん、この本も読んでいます。
説明
内容(「BOOK」データベースより)
最近の私の好みは、「生々しい小説」に尽きる。良くも悪くも、作者の生理が感じられるもの―。衝撃の書を世に問い続ける作家が、ひとりの読者に立ち返って選んだベスト・オブ・ベスト。島尾敏雄・ミホ、菊池寛、太宰治、坂口安吾、林芙美子、谷崎潤一郎ら、ともに生きながら哀しく行き違わざるを得ない生の現実を描いた11篇を収める。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
桐野/夏生
1951年、金沢生まれ。成蹊大学法学部卒業。93年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞受賞。98年『OUT』で日本推理作家協会賞受賞、99年『柔らかな頬』で第121回直木賞を受賞。2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞受賞。04年『OUT』が日本人としては初めてエドガー賞(MWA主催)の候補になる。同年『残虐記』で柴田錬三郎賞受賞。05年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞受賞。08年『東京島』で谷崎潤一郎賞、09年『女神記』で紫式部文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
だけど、『女神記』あたりから、桐野夏生さんは迷走をはじめたようにみえました。同じ2010年9月初版の『優しいおとな』で近未来の渋谷の地下都市に生きる少年たちを描いたときは、もう、桐野夏生さんにサヨナラしようと思い、失恋したような気分を味わったものです。
決して『優しいおとな』が作品としてダメというわけではありません。なんていうか、社会に迎合してしまったように感じたのです。
ですが、そのあとに出た本も未練たらしく、ときどき希望を繋いで読んできました。
そこで、この『奴隷小説』!
すみません、前置き長過ぎですね。
本来、桐野夏生の魅力は、ドロドロした世界を徹底的に、容赦なく描き出すことに尽きると考えます。だけど、わたしにとって後味は悪くないんです。いわゆる「イヤミス」のような救いのなさではない、何かあたたかいものが残ります。
それは、たぶん桐野夏生という人間が持つ弱者に対する「優しさ」に根ざしていると思われます。
身を削って苦しみながら、桐野夏生さんは世の中に残酷な世界を突きつけてきました。
社会的弱者を「可哀想な存在」として描かずに、とことん過酷な状況を背負わせることで、傍観者たちを震えあがらせます。
「あんたら、ただ見とくだけで、ええん?」
いや、桐野夏生さんはそんな下品な言い方はなさらないでしょうが、わたしにはそんな声が聴こえてくるんです。
今回の『奴隷小説』は、たった155頁に7つもの短編が収まっています。
だから、あっという間に1編1編は読み終わり、物足りなさを感じるほどでした。
テーマはタイトル通り囚われた人たちです。
わたしがこの間書き上げた小説のタイトルが『囚われた夏』で、SMの快楽に囚われて苦しむ女性が主人公です。
しかし、桐野夏生が描き出した囚われには、快楽などまったくありません。不条理そのものの世界で酷い扱いを受け、生死すら委ねねばならない人たちが描かれています。
世界にはこんなにもたくさん、残酷なことがあるのだと突きつけてきます。
長編だと、ひとつの世界を広げ、深めていくところを超短編なので動かない場所で起きる数日間の出来事だけで終わってしまう話もあります。やはり、1編だと強烈ではありますがアッサリ感は否めません。
【雀】「新潮」2014.6
昔の閉ざされた村社会の底辺にいる女たちが描かれています。極端な一夫多妻制で、そこからはみ出すことのえぐさが描かれています。
【泥】「オール読物」2014.8
【泥】「オール読物」2014.8
読んでぱっとイメージしたのは、イスラム国です。突然学校に現れた兵士に少女達は拉致されて、泥に囲まれた島で囚われます。
【神様男】「別冊文藝春秋」2013.1
この作品だけが現代の日本を舞台にしています。アイドルになりたい女の子が過酷なヒエラルキーの中に放り込まれる話です。若さを搾取され、男の前にさらされる。頂点に立てない女の子たちは、果たして奴隷か、という疑問が残りました。神様男とは…
【REAL】「新潮」2013.5
娘を亡くした中年女性がブラジルにいる学生時代の友人を訪ねます。娘は自殺でした。ブラジルの貧富の差と埃っぽい熱さを感じましたが、この1編だけが『奴隷小説』に、そぐわないような気がしました。ですが、娘に自殺された母の孤独はせまってきます。
【ただセックスがしたいだけ】「yom yom」14号
ではどこにも行き場のない炭鉱夫たちが、冬に川が凍ったときだけ訪れる女とのセックスに溺れる話です。じめじめして、どんより暗い世界です。
【告白】「文藝春秋」2006.1
【告白】「文藝春秋」2006.1
江戸時代、三代将軍家光の時代に薩摩商人のヤジローが誤って人を殺してしまい、鎖国のなか海外に逃亡します。辿り着いた先はゴア。
読んでいて、なんとなく遠藤周作の『沈黙』のにおいがしました。と思ったら、ゴアで出会った老人は、江戸時代の初期にポルトガルの商人が日本人の子どもを拉致して奴隷として売られた過去があった、と告白しだす…という展開になりました。本当の奴隷としての過去を持つ人の話みたいでした。
【山羊の目は空を青く映すか】2010.8
どう読んでも北朝鮮の強制収容所を思い浮かべるでしょう。やりきれなさは、いちばんです。囚人の子として収容所内で生まれた1度も壁の外を見たことがない少年が主人公です。
こうして年代を添えて並べてみたら、2006年から2010年の作品は重いです。ちょうど『東京島』『女神記』『ナニカアル』で日本が戦争前に侵略したアジアの島をリサーチしていたのではないか、という時期と重なります。そして、2013年の2作品は、正直言って軽いというだけでなく、何を伝えたいのかが、いまひとつはっきりしません。
比較的新しい【雀】は、閉ざされた昔の村社会でありそうなんですが、その息苦しさや弱者を追い詰めるやり方が今に通じているような気がしてきます。桐野夏生さんの筆致が冴えています。これは、長編で読みたいです。
もともと、桐野夏生さんは実際にあった事件や歴史(東電OLや新潟少女誘拐事件、林芙美子の『浮雲』)をモチーフにして、小説ならではの手法で、深く潜り込むような描き方の作品が多いです。
『奴隷小説』でも、【泥】【告白】【山羊の目は空を青く映すか】が明らかにその系譜に繋がります。
おそらく、桐野夏生さんの中に生まれた酷いできごとに対するやりきれなさが、怒りとともに熟成されて作品として産み出されたのではないかと考えます。
新作ばかりで構成された短編集ではなかったけれど、いま、こうしてかつての桐野夏生さんが発散していた毒を浴びることができて、幸せです。
桐野夏生さんが、書かれる作品が毒々しいのは、たぶんいったん巷に溢れるさまざまな悲しいできごとをご自身のなかに取り込んでしまわれるからではないでしょうか。
もう大作家としての地位を確立されていますが、今一度、谷崎潤一郎や島尾敏夫、林芙美子たちが磨き上げた作家魂が光り輝くことを願います。