ここは、1900と船に乗りこんだばかりのマックスの出会いのシーン。荒れ狂う海に翻弄され、大揺れになった船の上でピアノと一緒にホールを滑りながら楽しそうに1900はピアノを弾く。
誰もが波に翻弄されるなか、1900は真っ直ぐに歩ける。海の波とともに生きてきた彼だけの歩みが印象的だった。
1900を育てた給炭夫は、事故で死んでしまう。国籍ももたない1900は、どこにも存在の痕跡のない人間で、だけどピアノを弾くことでそこにいることを許される。
バンドとともに演奏を始めると、彼はすぐに暴走しだす。
彼の自由な魂が、羽ばたき、それにみんなはついていけなくなる。
船から降りたことのない彼は、一歩も陸に足をおろしたことがない。
ただ、一度降りようとしたことがあった。
1900の曲をレコードにして、世にだそうという試みがあった。
そのとき、窓の外にいるこの女性に1900はひと目で恋をする。
せつない曲が、1900のピアノから流れ出す。彼の無垢な魂が愛を得て変わった瞬間だった。
それが、冒頭のレコードだ。
たぶん、1900はこの女性に会いに行くつもりだったと思う。
1900は、船のタラップを下りはじめる。だけど、真ん中くらいまで来たときに立ち止まってしまう。目の前には、ニューヨークの摩天楼がただ広がっている。
かぶっていた帽子を海に向かって飛ばす。
心の変化を現す秀逸なシーンだった。
時は流れ、マックスは船を下りた。
戦争が終わり、病院船としての役割も終えて1900が乗る船が爆破されようとする。
マックスは1900を探して再会した。
1900は言う「終わりのないことが怖い。ピアノは88の鍵盤から音楽を生みだす。もし鍵盤に際限がなかったからといって、いい音楽が生まれるだろうか…」
ひとつの寓話として、この物語から限りある中で、魂を自由に羽ばたかせることが人間にはできるという大きな可能性を感じた。
ここまで極端な例でなくても、昔の人たちは生まれてから死ぬまでの間、一歩も生まれた土地を離れない人がいたと思う。
だけど、そういう人たちが果たして不自由だったと言いきれるだろうか。
いま、わたし達は簡単に飛行機でどこへでも旅ができる。
そして、インターネットであらゆる国の情報を知ることもできる。
だから、自由だと言えるのだろうか。
人間は、少なくとも「生」と「死」という限られた狭間で生きている。
その中でいかに魂を自由に羽ばたかせるかは、その人次第だろう。
ただひとりの友人であるマックスとの別れは、哀しくもあるのだけれど、自分で自分の生き方を決めた1900の潔さを感じて、すがすがしくもあった。
エンドロールの曲と歌詞が、1900の人生を凝縮していて、深く深く心の奥底で響いた。
いい映画だった。
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この映画をすすめてくれた友人に感謝です。
そして、次は前に『セント・オブ・ウーマン』の感想をFacebookにアップしたときに、アル・パチーノの名作として、『スカーフェイス』を推薦してくれた友人がいたので、それを観ることにします。