昨年ははじめてづくしの年となった。
乳がんが見つかり、生まれてはじめての検査をたくさんした。そしてtimeleszプロジェクトからアイドルの推し活に目覚め、アリーナやドームのコンサートに行き、アイドルがたくさんの人を幸せにしてくれるのを知った。
悪いことも良いこともふくめてバランスとれてるなあ、と感じる。
12月に左側のリンパにも乳がんが転移していることが判明した。単なる影と先生も思っていたものが12/9の細胞診の結果、12/18の診察でがんであると告げられた。
そうですか。
またもやわたしの反応は他人事のようだった。
焦ったのは先生だったかもしれない。次の予定は1/8の抗がん剤投与で、9/22のフェスゴから3ヶ月以上何もしていないのだから。
先生としては1日もはやく、と思ってくださって年内に、とも言われたが、わたしは「でも、お正月休み中に何かあったら対応できないって先生前におっしゃいましたよね」と反論しつつ、わたしは心の中で叫んでいた。
12/26のtimeleszのドームライブにぜったいに行きたいねん!
先生もふむ、とうなづいて予定通りとなった。
だが、よほど先生に心配させていたようだ。
なんと、翌朝先生から電話があった。
「昨日の夜かんがえたんだが、やはり期間が開きすぎる。フェスゴと右胸はホルモン受容体陽性だからホルモン剤の飲み薬はどうかと思うが、どうですか」
えーーーっ!
「めちゃくちゃ嬉しいです!」
今まで何度もフェスゴ単独をお願いしたが果たされなかったのが、願いが叶った。こうして気持ちが穏やかであるのもフェスゴで腫瘍がどんどん小さくなってきたからなのだから。
ということで、翌週月曜(12/22)にフェスゴを皮下注射してもらえた。
前2回のフェスゴでは下痢に悩まされたが、今回は野菜スープのおかげか下痢にはなっていない。
そして元気いっぱい京セラドームに参戦できた。着席ブロックはビスタルームという最上階の個室があるところに設えられた座席。遠かったけど気球のゴンドラにのったメンバーが目の前に飛んできてくれたり、高くせり上がるブースで歌ってくれたりと、広い空間を余すところなく利用した演出でずーっと楽しめた。
その日はミュージックステーションに生配信というおまけまでついた。
年賀状じまいをしたし、文学学校からどっさり届く原稿もないし、こんなにだらだらと過ごした年末は近来稀にみるもの。
おせち料理は明石の料理旅館「人丸花壇」から配達してもらった。
全部美味しいけど、やっぱり1番はたこの柔らか煮。
明日から会社だなあと思いながらのんびりディズニープラスで『将軍』を観ていたら、中学の同窓会LINEが入った。
Kがお正月に亡くなった。
Kは古事記の動画を一緒に作った仲間…ピアニストで作曲と演奏をしてくれた。そして、認知症の老母を介護しながら暮らすという共通点。さらに乳がんと共に闘ってきた。
主治医が同じで、11月後半に病院で偶然出会ったとき、しんどいからタクシーで帰ると言っていた。
夕方で、人がほとんどいないロビーで食べられないの、という悩みを聞いたのが実際に会って声を聞いた最後となった。
胃にも転移していて、治療の困難さを詳細に綴った、12/17のLINEが最後のメッセージ。
なぜわたしは泣けないのだろう。
がんばり抜いたKを知っているから?
Kはピアニストで乳がんの治療にあたって、ピアノが弾けなくなるのを何より恐れていたように思う。だから放射線治療を拒んだ。そのせいで再発したと思っていたようだ。その後の治療でも手が痺れる可能性の高い抗がん剤はやめようとしていた。
Kにとって、生きることはピアノを弾くことを意味した。
子どものころからピアニストだったKは死ぬまでピアニストであり続けた。ピアニストとしての人生を全うした!おばあちゃんになって、目が見えなくなったり耳が聞こえなくなってピアノを諦めることのない人生だったのだ。
誇らしい。
今日お通夜に行った。
たくさんの若い人たちはKの教え子たちだろうか。会場におさまりきれない人たちが玉串を捧げるのに長蛇の列をなしていた。
たくさんの人たちに愛されたK…ありがとう、さようなら。


