福島第一原発 ~その2~ (七年を迎え) | 〜 シゲさんの「疾風勁草」ログ 〜

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2014.6.1~ReNew!

〜Photologue〜

写真一枚からの日常ログを書き綴っていきます。

それと、、、(不定期になりますが)
東日本大震災から丸三年が過ぎた今、自身で経験したボランティア活動を一枚の写真から振り返っていきたいと思います。





常磐線富岡駅からほど近くに
東京電力の旧エネルギー館があります。
(写真は入り口から入った所)



この建物は震災前からの原発PR施設で、
その役目はすでに終え、
今、廃炉作業が進む福島第1原発を視察に訪れる人の受け入れ拠点となっています。



視察者は1日平均50人程度と聞きました。



福島第1原発はここから海側へ約9キロ先。

わずか9キロ。

やっぱり緊張感が走ります。。。





第一原発まではバスで移動。

途中見えるのは、

ガラスが割れたままのディーラー店舗や、

 

椅子やパンフレットが散らばったままのドコモショップ。

 



まるで原野の様相で雑木が生えた田んぼ。

 

雑草や蔦で覆いつくされた食堂やレストラン、

よくみるチェーン店も看板そのままであります。。。




第一原発まで走る国道六号の支線はバリケードが組まれ、

行く道のルートは厳重に制限されていて、

富岡名物の夜ノ森の桜通りも入れないまま。




そう、ここ辺りの時は、


まだあの日、、、

2011.3.11から止まったままです。






昨日、震災発生から7年を迎えました。




報道やイベントで沢山の情報を見聞きしますが、

やはり実際、目にして体感する内容は異なります。




ここで行われている廃炉作業も、

実際目にして、見上げて来ると、

そのとてつもなく、途方に近いこの先長く続く作業年月を感じます。


それに莫大な費用感も。。。




一方、

希望も見えたし、人の強さも知りました。


地元からの廃炉作業に関わる企業に就職する若者たちを見ました。


また、しっかりした工程を整えた廃炉作業の進捗も見たし、

テクノロジーを駆使した新技術も随所にありました。


もちろん、汚染水や汚染物の対応の難しさや、

まだ長く居れない放射線量の高い現場の過酷さも感じたわけで。。。




でも、一歩一歩進んでいます。


悲観せず見守って行きたいし、

自分も身近に出来る節電や節水、

公共交通機関の利用や、

被災地産の食の利用などを続ける所存。





そしてここが完全廃炉となる頃の評価は、、、

(もう50年もあとになるかと思いますが)

次世代の方たちが行うことになるでしょう。


我々は2011.3.11を知らない世代の方々に託すことになります。


だから、今を生きるものとして、

出来ることを続けることや、

自分の言葉で伝える責任がありますね。






実は毎年3.11前後は気が落ち込みます。


自分の故郷、東北の過去と未来の悔しさや不安、

そして無理にでも持つ希望感や明るい未来への期待、

さらには現地の方々の苦労が交差して、

落ち着かぬ心持ちになります。


身内1人でも失う悲しみは大きいのに、

家族や親類、そして友人や思い出の地まで含めて一度に多くを失った悲しみの大きさを思うと、

今なお、いたたまれなくなるのです。




東日本大震災の犠牲者は、

関連死を含めると二万二千人超。


避難生活者は全国で約七万三千人。




もう七年でもあり、

まだ七年でもあります。




被災者の方々の日々の歩みを思い、

八年目も忘れないために。。。





end