閖上・ユリアゲ -Vol.3- ~日和山からの警鐘 | 〜 シゲさんの「疾風勁草」ログ 〜

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2014.6.1~ReNew!

〜Photologue〜

写真一枚からの日常ログを書き綴っていきます。

それと、、、(不定期になりますが)
東日本大震災から丸三年が過ぎた今、自身で経験したボランティア活動を一枚の写真から振り返っていきたいと思います。


「日和山(ひよりやま)」。



日和山という名称の山は日本各地にあります。



自分の知っている範囲で、、、


東北だけでも、秋田は能代、山形は酒田、宮城は石巻など。




この山の名称は、港町に多く、


それは、漁師が船を出すかどうかを日和を見て決めるという用途からきているということ。





そして、こちらは名取市閖上にある「日和山」。






山というよりは、、、


高さ6.3mの小高い丘。



海岸から約700m離れた所にあります。




記録によると、、、


この山の高さより+2.1mの高さまで津波の痕があったそう。。。



日和山全体が津波に飲まれたということです。








日和山の上には、そのシンボルの松が残っています。



そして、頂上には二つの神社が鎮座しています。


一つは震災前から日和山にあり、海を守る弁天様を祭る富主姫(とみぬしひめ)神社。


もう一つは、震災前は閖上中心部にあり(津波で流された)閖上地域の氏神様の湊(みなと)神社。


二つの神社には復興祈願と鎮魂の思いが込められているとのことです。





この日和山の登り口。


震災前の閖上の姿・名所が写真で展示されています。




懐かしい風景の数々。。。






ここには多くの見学者が立ち寄っていました。


駐車場もあるため、大型バスで来られる方々も多いようです。


この日は、遠くは北九州ナンバーのバスも。。。




そして、地元の”語り部”さんが、このように当時の状況を説明して、案内をしてくれていました。



 ”多くの方に知ってもらいたい・・・”






そして、



 ”被災地のことを、忘れないで欲しい・・・”



そんな言葉が耳に残っています。






   *   *   *






日和山から内陸方面(仙台方面)を眺めます。




反対の海側(名取川河口方面)を眺めます。





どちらも更地ばかりの景色が続いています。



いまだに・・・・・、です。





震災前の、


閖上地区の人口は、約5,600人。


そして現在は、2,400人なのだそうです。




閖上地区だけで約700人が震災の犠牲とお聞きしたので、、、


旧人口の約半分となる2,500人以上の住民がそこに住めなくなり、移住しているわけです。



そう、


この景色を見ると、この数字が閖上地区の復興の現実を教えてくれます。





取り残された街にしたくない・・・。


そんな気持ちを抱きました。





そうそう、


日和山の下では、東京でも有名な某企業のボランティア団体が土を耕して花を植えてくれていました。



#感謝デス。






   *   *   *







日和山の後ろから。





ここに、数基の石碑・記念碑が横たえられていました。





その中で、


1933年(昭和8年)3月3日に起きた昭和三陸地震(釜石沖)時の大津波を伝える記念碑が横たわってあります。



昭和三陸地震は今から80年前の出来事。


記念碑は同年11月3日建立でした。






記念碑の題名は、


「地震があったら津波の用心」。



内容は、


「昭和八年三月三日午前二時三十分突如強震アリ


鎮静後約四十分ニシテ異常ノ音響ト共ニ怒涛澎湃シ来リ


水嵩十尺名取川ヲ遡上シテ・・・」


と刻まれてあります。



- 昭和8年3月3日に突如強震有り


40分後に異常な音と共に10尺の津波が押し寄せた -





この記念碑、、、


その存在すらあまり知られていなかったそうです。。。





私たちの記憶はすぐに薄れていきます。


そう、私たちは忘れる動物。




だから、伝えていくことが大事。


その手段として、、、


記念碑や、文書・教科書、写真、映像などによる記録が不可欠です。




ただ、この記念碑を見て思ったこと。。。



津波の恐ろしさを伝えようとする必死の記念碑ですら、


その存在を忘れられてしまう。



記録の存在を忘れられてしまう・・・。



そう、


記録の記憶がなくなってしまう・・・


という悲しい現実です。





この警鐘を、80年前の記念碑が教えてくれました。




次世代に向けて、


この大津波の惨劇を忘れない新しい街づくりが成されていくことを願ってやみません。




#共に前へ・・・。




-END-



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