今日は、昨晩の雨でずっしりと重量感のある朝になりました。
この空気の重い感じで・・・、
アジサイの花がちらほら見えはじめた五月です。
* * *
昨日はほぼ家にこもって読書三昧。
本当は読む順番が決まっている本群ですが、、、
なぜか目に留まって、手にとったのがコレ。
鴨長明の『方丈記』。
・・・一日中読んでました。
”行く河の流れは絶えずして、
しかも、
もとの水にあらず。”
行く川の「継続」と、
流れる水の「変化」。
”しかも”でつながるこの一文は、
河の流れにおいて、
「継続」と「変化」は一体だ、
ということを表してます。
このこと、すごく染み入ります。
変化しながら続けていくということ。。。
この方丈記は、
”あらゆるものは消滅・変化する”
という、「無常」がテーマ。
河は、、、
源流を探すことも、河口を見つけることもできるけれども、
なぜに流れているかの理由は永遠にわからない。。。
目に見える自然のなかの、
目に見えない自然のチカラ。
あらためて、
この「無常」のチカラを、
”どうして人間が制御できようか・・・”
と、方丈記に記された歴史から学んだ気がします。
* * *
話変わって、先週の仙台。
昨日までの週末、「仙台青葉まつり」が開催されていました。
おまつりで披露される伝統の「すずめ踊り」。
ヒトのチカラで「継続」です。
その準備中の定禅寺通り。
新緑が眩しいケヤキ並木でした。
この時間は、夕方17時半過ぎ頃。
昼の官庁街から夜の歓楽街に変わる直前。
そう、街も絶えず「変化」。
八重桜が終焉をむかえておりました。
仙台駅まで向かう途中に、
勾当台公園内の池や水路をピンクに染めていました。
花も毎年毎年”継続”。
さらに、
散ってまで美しく見せる桜花に脱帽デス(^^)。
* * *
戻って『方丈記』。
「無常」は決してあきらめとか、涙や挫折感ではありません。
それを言うならば「無常”感”」。
一方、
希望を持って未来を捉える、向き合うこと。
それが「無常”観”」。
”感”と”観”の大ちがい。
鴨長明はこの方丈記で後者の”観”を書いています。
そう、長明20代の頃の10年間、大火災、竜巻、飢饉、大地震という大きな災害にあっています。
その自然の「無常」に対して、あきらめない態度・姿勢を書いたのがこの『方丈記』なのです。
私たちもあの大震災から、復旧、復興、そして再生へ…。
いっぱい悔しいことがあるけれども・・・、
あの大震災の非情を容認して、
それを超えて行くコトも大事。
源平の戦いのあたり(1180年近辺)が舞台の『方丈記』。
(追記:成ったのは1212年)
一文一文、まったく色あせていませんでした。
-END-
Android携帯からの投稿