こちら、、、たいへん痛ましい写真ですが、ご紹介したいと思います。
こちらは津波に流され、今は更地となった民家後に残っている井戸です。
七ヶ浜のご家庭には、こうした井戸が掘られていました。
七ヶ浜には川がないのと、自然の恵みとしての地下水が豊富だったから、こうした井戸が各家に掘られていたのだと思います。
昨年来から、何度も震災ボランティア活動として七ヶ浜町にお伺いしていますが、民宅での活動時、何度もこうして閉じられた井戸を目にしてきました。
ここ松ケ浜の海のすぐ前の宅地あとにも、こうした井戸が何個もぽつぽつと点在してありました。
* * *
昨日が、震災から1年8ケ月。
毎月の11日に思うことなのですが、、、
もう…なのか、
まだ…なのか、
毎々複雑な気持ちになります。
でも、こうして文章にして、自分に刻み、かつ、発信することは大切なことと思い、こうして記事にして書いています。
さて、井戸の話に戻ります。
松ケ浜の高台にある民家には、先のような井戸がこうして残っています。
このようにして井戸は生活の中心として日々使われていたわけです。
バケツが見えますので、今も使われている様子です。
もう一件、工場の中に見かけた井戸です。
こちらも、日々の営みとして昔から大切に使われてきた様子が伺えます。
そう、これらが井戸としての本来のお姿です。
七ヶ浜の水道は、仙台市の南のその先、釜房湖というダムからも供給されているのだそうです。
釜房湖といえば、「みちのく森の湖畔公園」があるところ。
私の実家のある名取市より更に南山間部に入ったところです。
震災時、ここ七ヶ浜町は水の復旧が仙台市と比べて少し遅れたとお聞きしました。
途中、仙台を経由しての5~60km以上も離れた湖からの供給がゆえのこと。。。北部からの水道ルートもあったかと思いますが、いずれ七ヶ浜は沿岸部の先にある町ですので、大変なご不便だったと思います。
浜自体の様子は、大変穏やかのものでしたが、海の前、高台までの平地は、更地が続いています。
未だガードレールも壊れたままです。
昨日の新聞各社でも取り上げられていましたが、被災した各沿岸部では土地のかさ上げを10数メートル規模で行なっていくようです。
こちらの松ケ浜前の宅地も土地のかさ上げをして、いわゆる山のような状態にして居住区にして行くのかもしれません。
いずれ数年先までかかる事業になると思います。
そう、こちらに住まわれる方々の復興は未だ道途中です。
こうして伝えること、忘れないこと、、、
自分の中での出来る範囲になりますが続けて行きたいと思います。
--- 昨日、震災記事の切り抜きや雑誌を眺めて過ごしました。
その中から一つ詩をご紹介して今日の記事を終えたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございます。
シゲ 多謝
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「言葉」 -谷川俊太郎-
何もかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
流されなかった
ひとりひとりの心の底で
言葉は発芽する
瓦礫の下の大地から
昔ながらの訛り
走り書きの文字
途切れがちな意味
言い古された言葉が
苦しみゆえに蘇る
哀しみゆえに深まる
新たな意味へと
沈黙に裏打ちされて
~文藝春秋 2012.3 臨時増刊 「3.11から一年 100人の作家の言葉」 冒頭の巻頭詩より~
※2011年5月2日の朝日新聞「五月の詩」に掲載された詩のようです。
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