南三陸町(その3) 「未希号」という名の消防車、それと「みつる号」について | 〜 シゲさんの「疾風勁草」ログ 〜

〜 シゲさんの「疾風勁草」ログ 〜

2014.6.1~ReNew!

〜Photologue〜

写真一枚からの日常ログを書き綴っていきます。

それと、、、(不定期になりますが)
東日本大震災から丸三年が過ぎた今、自身で経験したボランティア活動を一枚の写真から振り返っていきたいと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、


南三陸町の防災無線で避難を呼び掛け続けた遠藤未希さんの名前が、救急車の名前に刻まれます。




 その名「未希号」。




また、女川町の水産加工会社、佐藤充さん(専務:55才)。


佐藤さんは、中国人の実習生20人を高台に避難させた後、自分の妻と娘を探しているうちに逃げ遅れ、実習生が見ている中、津波に流されてしまいました。


佐藤さんは消防車の名前に刻まれます。




その名「みつる号」




この救急車と消防車は、お二人の行動に感銘を受けたという台湾の経営者5人が、その購入費1.3億円を宮城県に寄贈したもの。過去の台湾災害時に支援してくれた日本への感謝の念も含んでいるということです。




多謝。






救急車は2台、消防車は3台。


配備先は、石巻、気仙沼、本吉、塩釜、亘理。




遠藤さんと佐藤さんの共通点。




お二人とも、


「我が身を捨てても他人を助ける行為に全力をかけた」。




果たして自分にそこまで出来るか。




遠藤さんは、愛する夫やご両親のことを、


佐藤さんは、愛する妻と娘をのことを考えたことでしょう。




どっちが大事かってことじゃなく、その時、出来ること、やらねばならぬことをやったという事だと思います。




今、”たられば”を言っても致し方のないこと。。。




だから、せめて語り継いでいくことが大事だと思います。




最後に、


南三陸町の市民ボランティアの方がおっしゃたことで印象的なことがあります。




”もう10年後に来てください。


来年、再来年では変わんねぇがら。


私ももう還暦。


でも今、もう10年生きてやるっていう覚悟が出来ている。”




ただただ感服しました。あらため、私もしっかり生きねばと思いました。



END