スリリングで楽しい。
好きかどうかは分からない。
これが文化なら、野蛮な文化だ。



夜中、お互いに家を抜け出して、ドライブに行く。
埋め立て地の公園から羽田空港を眺める。彼がわたしを背後から抱きしめる。
タバコのにおい。
頬にあたる風は海のにおい。波の音。
ファンデーションが彼の服につかないよう細心の注意をはらって抱きつく。


でも愛してるという言葉はうれしくない。
そんなものは求めていない。
愛してるという言葉は…わたしの辞書には存在しない。
愛しているなら…なにもかも捨てなきゃ。
でもそんなつもりはない。
彼もきっとそうだろう。
わたしはわたしの守るべきものは、守りたい。
いつまでも続く関係じゃないってことをお互い分かってるはず。


いま、必要としているからといって、未来もそれを必要とするかは分からない。
いま彼を好きと思っても、5年後もそうかどうかは分からない。
きっと代替品を見つける。
もしかして彼が代替品かもしれない。



わたしは言葉にするのが嫌い。
言葉にして伝えることは大切だけど…
愛してる、は嘘に聞こえる。
この年になってこんな風にひとを好きになると思わなかった、は半分くらい嘘かな。
会いたい、は嘘じゃない。


言葉にするのは簡単。
言葉にすると、複雑な思考は単純な言葉になってしまう。
アウトプットする能力が乏しいのだ。わたしの言葉は解像度が低いの。

認識するのは簡単だけど、それをどこまで理解できるのか、それが重要。



並んで座っていたら相手のほうに20度首を傾けること。
抱きしめられたら3kgくらい体重を預けること。
キスのときに唇を軽く開けること、行儀良く目を閉じていること。
それらがわたしの愛情表現。



10年くらい経ったら2人で並んで歩いても、きっと違和感ないだろう。
でも10年くらい経ったら、この気持ちは消えてしまっているだろう。
10年くらい経ったら…彼はいまの私の父よりもまだ若い、10年経っても。
でも歳の差はいつだって縮まらない。
彼の娘は高校生になっている。


10年経ったらわたしは32歳。
結婚しているだろうか?こどもは?
そのときまであと何人彼氏ができるかな。