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2025年7月16日に、平将門公にインタビューした内容をご紹介させて頂きます。


お取次ぎは、スピリチュアルカウンセラーのN女史にお願いしています。



平将門公について知ろうとした場合、一番に読まれる資料は「将門記」という文書です。


作者は分かっておらず、将門公が亡くなって間もない時期に書かれたものなのですが、内容が事実なのか確かめることは難しいです。


そこで、将門公ご本人に疑問点を伺うことにしました。



以前のセッションで、将門公が


「自分は首塚にはいない。

神田明神でもなく、築土神社が本拠地なので、そちらに是非来て欲しい」


と、おっしゃいました。





🔵N女史

『将門公がほかに行って貰いたいとおっしゃっているのは、川口市(埼玉県)にある、密蔵院というお寺なんです。


将門公と深いご縁があるようです。(お地蔵様がご本尊のお寺)


みんなに救われて欲しいそうなんです。


お地蔵様は六道すべてで人々をお救い下さるじゃないですか。

なので、どの人も救われて欲しいと。


将門公に縁のあるお地蔵様があるお寺という感じです。


宝物を預かって貰っているイメージなんです。


お地蔵様によって、誰もが救われて欲しいというのが将門公の祈りだとすると、その祈りの象徴がお地蔵様で、そのお地蔵様を預かって頂いているという感じです。


だから皆にこのお寺にお参りに行って貰って、ゆとりとか、非合理なものを味わって欲しいと。


皆が合理性を追求して、どんどん色んなものを削ぎ落として便利にしていっているようだが、本当はお地蔵様に祈る、こういう時間こそが人の道。


人の道を思い出して欲しいと。


不便な場所にあるんですよ。

私もひょんなことから、ここに行くことになったんですね。

それでお参りさせて頂いたことがあるんですけど、凄く辺ぴな場所にあるんですよ。

でもそういう所にわざわざ足を運ぶみたいな余裕があってこそ人間である。


そうでないと、ずぅーと、これでもかこれでもかと貪り続ける。

人ではなくなって、ケダモノになっていく感じです。


人間というのは、お地蔵様に何を見るとか、

お地蔵様の中に何を見いだせるのか、

お地蔵様は何を考えているのだろうか、

何か見えないものに意識を向けていく、

その姿勢がとても重要という感じです。


権威権力を追い求めることも、それを手に入れることによって、多くの人を救えるという意味では素晴らしいけれど、それを違う形で使っていこうとした時に墜ちるという感じです。


その時にはじめてお地蔵様に祈っていくみたいなことのようです。


なので、今の社会でドロップアウトしてしまったような方が、お地蔵様に祈って、そこで救われていくみたいな経験をして欲しいそうです。


なんか、真透さんなら分かると思うという感じなんですよね。

伝わるはず、という感じです。


本当に、やってもやっても報われず、

つまり、コントロール出来ないのだと分かった時に、お地蔵様に向かうという感じです。


分かりますか?

真透さんなら分かると聴こえるんです。


コントロールが出来ない時に、お地蔵様の所に足を運んでみようか、みたいな気持ちになるという感じでのようです。


何か夢破れるとか、多くの人が将門公のことを無念だと思っているだろうと。


夢半ばで敗れた・・けれど、夢破れてお地蔵様の所へ行くか、天国に行くか、という感じだったそうです。


本物の地蔵菩薩に天で会ったそうです。


救われたと。


なので、恨みつらみと言われるけれど、

己の限界だったのだから仕方がないと。





密蔵院





🟢わたし『将門公が関東を制圧した時に、一人の巫女がやってきて、新皇と名乗りなさいと、お告げを伝えたと云われています。

本当にそんなことがあったのですか?

本当に新皇と名乗ったのですか?』



🟣 将門公『新皇と名乗ったつもりはないけれど、新皇と呼ばれた』



🔵N女史『新皇になりなさいと言われた感じです。

それは確かに言われた感じです。

ですが、新皇という言葉に、何の意味があるのか、よく分からなかった感じです。


でも言葉ではなくて、名前ではなくて、

ここの人々の苦しみに、どれだけ寄り添えるかが全てなのに、と思った。


その時に思ったのは、

「ああ、この者(巫女)は、もしや本物ではないな」と、思った。


求心力という意味で、お名乗りなさいということだったが、

求心力とは名前で果たして得られるものだろうか、

そうではないだろうと思った。


そんな名前を変えたぐらいで、何かが変わるとはとても思えない。

それで変わるのなら、いくらでもみんな名乗っていよう。と、そう思った。


なので、話し半分も聞いていないという感じです。


何かこれは誰かの差し金ではないかな、と思った。


でも、そういった差し金でも何か、この我を想ってのことであるのなら、無下には出来ぬ、と思った。


本心では、これはちょっとお話にならないなという感じだった。


本質が全く見えてない、分かっていないなというのがあった。


でも、それを黙って受け取った、という感じです。



🟢わたし『ということは、天皇家とか朝廷をひっくり返そうという考えはなかったということですよね?

自分が天皇になり替わろうという意思は無かったということですよね?』



🟣将門公『そうではなく、朝廷とか天皇を懲らしめてやるとか、そういうことを思っていたのではなく、(関東を)独立させたかった。


独立した中での名前が新皇であれば良かった。


他はどうでもいい。


ここだけ独立出来て、そこで新皇というものであったのなら・・そういう武将が沢山出たらいい。』



🔵N女史『今の県知事さんみたいなイメージです。

みんなに選ばれた人がそこを治めて、

その土地土地に合ったやり方を、その土地の決まり事にしたらいい感じです。


そうでないと、通りいっぺんの決まり事は土地に合わない。

それが苦しみの元になる。と』



🟢わたし『その考えを朝廷が認めなくて、攻め込んできたから戦ったということなんですよね?』



🟣将門公『結果そのようになった。


なってしまった。


本当は、何度も何度も掛け合って、頭を下げて許しを請いたかった。


自分がそれをすることで、(関東を独立させて治めること)


他の地域も、それぞれが治めていくことが出来たなら、とてもいいんじゃないかと思っていた。』



🔵N女史『でも、お話にならないといった対応だったようです。

聞いてはとても貰えなかった。

何か、足蹴にされたというレベルではなくて、罵られたとか、凄く悔しさが伝わります。

人間が吐くような言葉ではないような、そしりを聞いた、あざけり笑われた。

田舎者だとか・・何か匂うみたいなことを言われた感じです。

田舎がせいぜいな侍だ、みたいな。

何かそういう、そしりとか、罵りを受けた感じです。

その時に、「ああ、ここは人間の暮らす世界ではない」と思ったそうです。

笑い者にされて、恥をかかされた感じです。

身の程知らず、みたいなことを言われたみたいです。』



********************



ここで、将門公の最期はどうだったかのお話になり、



🔵N 女史『「御免」と言って首を斬られたと。


そして、すぐに宙に浮かんで、上から見ていた光景を見せて下さった時、


膝をついて男泣きをしている藤原秀郷さんの姿を見ていらっしゃるんです。


「無念。

斬らねばならなかったことが無念。

無念極まりない。」


その言葉を聞き、その男泣きを見た時に、


「すべてが終わった」


「許さなければならない」


と思ったそうです。



🟢わたし『京へ連れて行かれたのですか?』



🔵N 女史『京ではない感じです。


建物の中で斬られたのではない。


何が悔しかったかというと、


「この中が汚れる」と言って、

建物の中ではない所で斬られている感じです。


建物の中にすら入れて貰えない。


本当は京の御所の中で斬られていたのなら、

もうちょっと気分は良かった感じです。


でも、阿呆みたいなことを言われて、

虫ケラ同然みたいなイメージなんですよね。


なんの価値もないわ、みたいな感じで、

サッサと命を落としてこいとか、

下らない命だ、みたいなことを言われたイメージなんです。


一人だけ殺されるならまだ良かったけれど、

一族郎党が滅ぼされた。


これをお伝えしていると、ものすごく肩にくるんですよ。


だからですね、将門公おひとりじゃないと思います。

今いらっしゃっているのが。


見せしめにあったんだと思います。


自分だけ御所に呼び出されて殺されるというやり方だったら良かったけれど、そうじゃなかったことが誠に残念という感じです。


自分が殺されたことが無念なのではない。』



🟢わたし『一種の計略とか、騙し討ちみたいな目に合ったのですか?』



🔵  N女史『私に分かりやすくお伝え下さっていると思いますが、今でいうクーデターに近いイメージです。


そもそも朝廷側の人達は、将門公側を相手にしていない感じなんです。


あんな田舎のなんとかと言われていて、相手にされていなかったみたいです。


でも、将門公は相手にされたかったわけではなくて、このやり方には無理があるということを伝えたかっただけ、という感じなんです。

意見として。


その土地土地の様子を見るとか、その土地を良く知っている長がいてこそ、うまくそこが潤う。


その年の状況を、土地の長と話し合って、対応を決めるやり方が、思いやりとか道理だと思います。


朝廷は道理が分かっていないから、道理というものを伝えに行っただけ、という感じです。


地方の状況を調べもしないで、一方的にルールを押し付けるやり方をしていると、全国でクーデターが起きてしまうイメージなんですよね。


それだけ分かって欲しかっただけなんですよね。


凄く肩が痛いんですよね。


頭が悪いというか、道理が分かっていない。

つまり、無知なんだと思います。

朝廷側の人達が無知で、無明なんだと思います。


新皇になりたかったわけではなく、道理を理解しての政事でないと、上手くいかないということだけ伝えたかった。


つまり、仏教でいうところの自明だと思います。

将門公はそこが自明だったということをおっしゃってるんだと思います。

そのくらいの事は誰が聞いたって分かりそうなものなのに、という感じです。


でも朝廷は無明だから、道理をちゃんと考えて下さいと、上申しに行こうとした。

それを受け入れないのなら、一人だけに裁きを下せば済むことなのに・・・


ここの土地を凄く汚された感じです。

バカにされて。


血の海を見せられるんです。



🟢わたし『最期は朝廷軍が派遣した武将と戦って、討ち取られたと文書に書かれてるのですが、実際にそうだったのですか?』



🔵N女史『そのようです。

やはり、斬られていると思います。


「御免」と言って斬られた、と聴こえるので。』




🟢わたし『将門記には、将門公は若い頃、藤原忠平という、政治の中心にいた大貴族に仕えていたとあります。将門公にとってどのような人物だったのですか?』


(藤原忠平は、平安時代中期の政治家であり、摂政・関白として朝廷の政治を主導した、藤原氏の中心人物でした。)

 


🔵 N女史『その藤原忠平さんのことを物凄く恨んでいると思います。


御免と言って将門公を斬った藤原秀郷さんは、膝をついて無念無念と涙を流して詫びていたので、許せた感じです。


でも、忠平さんについては、何度殺しても許せない感じです。


この人は、卑怯だったんだと思います。


あることないことを・・・


つまり、道理を伝えたかっただけなのに、

生意気にも上申しているとか、

おおげさに、おおげさに喧伝した。


「こやつがいなければ、こうはなっていない」


こやつが元凶で、こやつさえいなければ、

もっと穏便に終わった。


自分は絶対に引かないつもりとか、そういうことではなかった。


それなのに、クーデターを起こすと言われてしまっていた。


それは後でわかった。


そんなつもりなんて全然なかったのに・・


ただ、政をするなら、こういう道理でやったらいかがでしょうか?

ということだけを伝えたかった。


それなのに、こやつのせいで。


自分の命が取られたことが痛みとか悔しいのではない。


この地を汚されたことが許せない。

という感じでなんです。


すっごく悔しいんだと思います。


体をボリボリ搔いている感じです。


むしずが走る感じです。


発狂したというか、心が一度壊されたんじゃないかと思います。

この卑怯さにです。


道理を知らない、保身だけを考える人間が政を行うと、こんなことになるのかと。


将門公が亡くなる前から、


「この者は呪いだ。

この者は朝廷を恨んでいて、呪っている」


と、言われていたようです。



🟣将門公『自分の思いは愛国心だったのに、それを踏みにじられた』



🔵N女史『将門公は、朝廷とか国を呪っているのではなく、この方(藤原忠平)を呪っているんだと思います。


この方に一点集中みたいな感じです。


この方の子孫は、よく亡くなっているんじゃないですか?

ご存じですか?



🟢わたし『忠平のことは良く知らないのですが、忠平の兄である藤原時平は、菅原道真公を讒訴した人物で、道真公が亡くなった後、時平ほか讒訴に関わった人間が不幸に見舞われたと伝わっています』



🔵N女史『だとすると、この家系がそういう家系なんだと思います。

疫病神みたいな。


この一族に関わった者は、疫病神ゆえ怨霊にされてしまう、という感じです。


『道真公も自分も国を想っていた。

その愛国心を踏みにじった家系』


この家系は、愛国心が無かったから、今なにか国によって滅ぼされている感じなんです。


国益を望むのではなく、自分達の地位を守るために手柄を立てようとした感じです。


例えば、そなたのおかげで、攻められないで済んだとか、


そなたのおかげで、こやつに振り回されないで済んだとか。


天皇から覚えめでたい存在であろうと、

それだけを願っていた一族だった。


でも、菅原道真公も、平将門公も、愛国心を持っていた、という感じです。


伝えたいのは、物の道理が分からないということの罪深さと、それが多くの人を苦しめるということ。


更に、わびさびが分からない。


人の儚さが分からない。


この2つの罪が伝わります。


無知で、わびさび、人の気持ちが分からないような動物や鬼畜のような人間になってはいけない。


ここを伝えて欲しいそうです。


真透さんなら分かると。


これが如何に鬼畜のようか、人を苦しめるか。


今の日本の経済は道理を得ていない。

だから多くの国民が苦しむと。


つまり知性が低いとおっしゃってるんじゃないかと。


なぜそんなに知性が低いか?


当然だと。


『蹴鞠を蹴っているからだ』と。


つまり、実地で学ぶとか、そういうことをせず、蹴鞠を蹴って遊んでいて、政など出来るわけがないと。


相手の立場を理解出来ぬ者が政などしても、

良い政など出来るわけがないと。


だからこそ、実地訓練されている、その土地の者の意見が大事だと。


べつに蹴鞠を蹴るなとは言わない。


でも、蹴鞠を蹴っているだけでは分からないものがある、

自分達の未熟さを認めて欲しい。


ここが未熟なのなら、知見のある者の意見を取り入れての政をしよう、せめてこの位の知性だけは身に付けて欲しかった。


蹴鞠を蹴っていたいのなら、有識者の声を聴いて、その上で第三者を含めての政なら、とても上手くいったはず、と聴こえます。


これが本当の愛国心だと。


当時の天皇や朝廷の人達には愛国心が無かったということをおっしゃってるんじゃないかと。


有識者とか、地元の有力者から声を聴いていない感じです。


だから蹴鞠を蹴っている人達が決めたことが全てになっていて、無理なことを課していたようです。


そして、逆らう者がいたら、平気でその命を奪う。


でも本当は、剣はそのためにあるのではない、と。




🟢わたし『将門公の首塚の祟りの話は有名です。

関東大震災のあと、大蔵省の仮庁舎を建てる為に、首塚を壊す工事を始めると、大蔵省の関係者や工事関係者に死者が続出したという話ですが・・・』



🔵N女史『いや・・もうですね・・唇を震わせて怒ってますね』




🟢わたし『それはどういう意味の・・』




🔵N 女史『つまりですね。


政に、とことん、亡くなってまでも負けなければいけないのか。


また、政治を司る者に、そうやって、亡くなってまで、また恥をかかせられる、惨めな思いをさせられる。


それは我慢ならぬ。


人の心に対する無関心さ。

礼節の無さ。

敬いの無さ。


政に携わる者に命を奪われた者が(将門公)、

また政に関わる者によって墓を破壊されたら嫌だろうと、なぜ思えぬのか。


大臣や役人が墓を壊すことを許して貰いたいと参りに来ても、それを本当に壊すとか、どかすということは道理に外れてはいないだろうか。



🟢わたし『やはり関係者が次々に亡くなったことは、将門公が懲らしめるためになさったことなのか、それとも偶々起こったことなのですか?』



🔵N女史『偶々ではない感じです。


「それは、見せしめ。

見せしめられたから、見せしめ。」


でも、将門公だけのご意志だけではないようなんです。


藤原秀郷さんも関わっているようです。


『その者が守ってくれた』


『敵味方を超えて

「本来、こういう者が政を担うのが一番良い。正しい」と、

秀郷が思ってくれていた』


つまり、道理の分からぬ者が、本来、やってはいけない者が政を行っていると。


そのことを秀郷は分かっていたと。


首塚を壊した後、亡くなった方達は、

平安時代、朝廷で政をしていた人達の生まれ変わりだそうです。


前世のカルマで巡り合わせたようです。



🟢わたし『生まれ変わっても、人の心が分からない人達だったみたいですね。

将門公のお墓を壊すような人達だったわけですからね』



🔵N女史『そのようです。


『因縁とは、そういうもの』と聴こえます。



とことん、もののあわれとか、恨みとか呪いによって知ったのは静寂。


もう、ただただ、仏門に入って祈ることの尊さ。


自分の中から、怒りとか恨みがガーッと湧き起こる、その感情を自分から出したくても出したくても出せない、それを精神修養していくイメージなんです。

六根清浄のような。

そこに至るまでの道筋、道のりというのは、本当に険しいものがあるようです。



朝廷側に直接斬られたのなら、まだ良かった感じなんですよ。

なぜなら、こういう人達は何も分からないからこうなんだなと思えるから。


でも、一枚噛んだ人がいて、その人がややこしくしたおかげで、謀反を起こそうとしていると喧伝されてしまった。


地元では朝廷の政に不満を抱いていたが、謀反を考えていたわけではなく、ただ道理を伝えようとしていただけ。


朝廷の人間達には道理を言っても伝わらないから、一人だけ呼び出されて殺されたのなら良かったけれど、この藤原忠平によって、はめられたことが一番許せない。


天皇、朝廷ではなく、この方が許せないんですね。


凄く体がかゆくなるんですよね。


本当は、こちらの話を聞いて、橋渡し役をして欲しかったが、実際はかえって引っ掻き回して、事態を悪化させた。


一番相応しくない人が政を行っていたと。


ここで忘れないでいて欲しいのが、

聖徳太子様の冠位十二階で云われている「実力主義、能力主義」の大切さ、だと。


相応しくない人を重職に就けると大変なことになる。


でも、本当に勤勉で、志がある、愛国心のある人をそこに据え置いたなら、もっと穏やかな国になると。



🟢わたし『将門公は、どのようなお姿をされていますか?』


🔵N女史『いま見せて下さるのは、甲冑を着ておられる姿です。


真透さんの後ろに飾られている武者人形のような鎧兜を着ておられます。


でも、ボロボロです。


髪が乱れていて・・


(私の後ろに、平安時代様式の甲冑の五月人形を飾っていました)



🟢わたし『今日は、将門公にお話をお聞きするので、この五月人形を飾ってみたんです』



🟣将門公『だから、そなたは道理が分かっておる。


つまり、なりたかったのは、

天皇でもなく、新皇でもなく、

本当の武士になりたかった。


その武者人形を飾ってくれた宇佐美に感謝する。


(上杉謙信公も平将門公も、私のことを前世の名前でお呼びになります。

私は戦国時代、宇佐美定満という武将で謙信公にお仕えしていました)


でも、これを例えば、首塚を壊した者達なら、自分が惨殺された場面の絵を飾ってしまうだろう』



🟢わたし『将門公は、もののふの基(もとい)を作ったと云われているんです』



🔵N女史『(将門公が)泣いてしまわれていて、


「さすが宇佐美」と、


すごく泣いてしまわれています』



🟢わたし『築土神社にお参りした際に、そのような内容の和歌を作ってお供えしてきたんです』



🔵N女史『「さすが」と


すごく泣いてらっしゃいますよ。


欲しかったのは、そういう気持ちだと。


だから、もう今は、首塚はべつにいい。


築土神社さえあれば。


そういう者が、時々、足を運んでくれたら、

それだけで充分。


人を讃えることを知らない人達は、本当に恐ろしい、という感じです。



”武士の礎を作った“ということを知って貰いたい、ということのようです。』




🟢わたし『微力ですが、今日伺ったことを、なるべく多くの人に知って貰えるように努力したいと思います。

将門公は長い間、誤解されてきたと思いますので』



🔵N女史『でもですね、宇佐美の為すべきは、それを知って貰うということではない、という感じです。


それを知って貰えたら嬉しいだろうな、ということが分かる、思い遣りの大切さを伝えるお役目だ、という感じです。


凄く泣いてらっしゃいます。


それが名誉回復になる。

讃えて貰えることが、この方の尊厳の回復だ、

復活だ、という感じです。


それを良く心得ている、と聴こえます。



人の道理とはそういうもの・・「仏性」と聴こえるので、生き仏ということなんじゃないかと思います。


「仏性」と漢字を見せて下さいます。


心意気ということのようです。


蹴鞠を蹴っていて、心意気の無い者に政など出来るわけがない、と聴こえます。


本当に伝えたかったのはそのこと。


だから、そこから抜本的に改革をしていくことが筋だけれど、でも、叶わなかった。


分かる者にしか分からない。

理屈ではないから。



なぜか急にですね、謙信公がいらしてですね、


『祝杯をあげよう』


と、おっしゃっています。



もののあわれ、というものが分からぬ者、

理屈ではないものを掴みとれない者の人生はさみしい、と聴こえます。


でも、それが分かる人生というものは、こうして亡くなったあとも御縁を頂ける。


だから深い御縁になるということなんじゃないかと思います。



残念ながら、現代社会にそういう人が少ないから、宇佐美が浮いている。

だから宇佐美の問題なのではなく、本来の古来の日本人の魂がちょっと今は忘れられている。


なので、生きているとか生きてないとか、そんなことに拘らず祝杯をあげよう、とおっしゃっています。



源義経公の所にも行ってあげて欲しい、

と聴こえます。


(以前のセッションの折に、源義経公と武蔵坊弁慶さんがいらしたことがあります。

その御礼を兼ねて、岩手県平泉にある、義経公と弁慶さんのお堂にお参りしたことがありました)



そちらでも、築土神社でされたように、御魂を慰めるとか、讃えるということをして差し上げて欲しい、と聴こえます。


人が人を想う心。

時代を超えて、それを思いやる心。

いまの日本人が呼び覚まして欲しいのは、

そこにある、と。



そういうお役目なんじゃないかと思います。



🟢わたし『川口市の密蔵院にもお参りさせて頂きます。』



🔵N女史『「桜の頃がいい」と聴こえます。


たしか桜が有名なんですよ。



(これから)

「一献酌み交わす」とおっしゃいますので、


杯が3つ必要だと思います。



🟢わたし『さっき、お酒とつまみを買ってきましたので・・』



🔵N女史『はい、将門公のぶんもだと思いますので』



🟢わたし『では、後ほど飲ませて頂きます』



🔵N女史『はい、「お風呂に入って・・」』と聴こえます。


(謙信公とお酒を酌み交わす時は、必ずその前に、お風呂で身を清めてから、というのが決まりごとになっています。

戦国時代もそうしていたから、とのことです)



********************



セッションのあと、将門公、謙信公、わたしの3人で飲ませて頂きました。


辛口の日本酒と、将門公がお好きな「落花生」、謙信公がお好きな「たこわさ」をご用意しました。


セッションでお話をしていると、将門公と謙信公は、お人柄が似ておられると感じます。


お二人ともに、人情に厚く、困っている人がいたら放っておけない、放っておかない方だと感じます。


将門公に対しての当初のイメージは、恐ろしい、気難しい武将というものでしたが、セッションでお話してみると、そんなことはなく、紳士的で、面倒見が良く、現代人を尊重して下さる方だと感じます。


2025年は、将門公が亡くなって1086年目に当たります。

長い間、将門公の真意は伝わってきませんでした。

将門公の心中の無念な想いを推し量ることは、難しいことだと思います。


しかし、御自身のことよりも、人を思いやる心や、人を敬う心を伝えて欲しいと、おっしゃっておられました。



千代田区九段にある築土神社には、将門公がいつもおられますので、将門公にお会いになりたい方にお勧め致します。


将門公のように義侠心を持っている方には特にお力をお貸し下さると思います。



埼玉県川口市の密蔵院のご本尊は、将門公の念持仏で、京へ赴く時にお寺に預けていったお地蔵様です。


多くの武将が戦勝祈願のために拝んでいた勝軍地蔵ではなく、心の安寧と人々の幸福を祈るための地蔵菩薩です。


将門公が心を寄せていた仏様がお地蔵様だったことに、お人柄が偲ばれる気がしています。



茨城県桜川市に五大力堂というお寺があります。

藤原秀郷が将門公を討伐する前に、乱の平定を仏に祈ったのですが、将門公を討ち取った後、「将門の善心を知って」再びこの地でその冥福を祈ったと言い伝えが残されています。





築土神社




























































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先日、映画『鬼滅の刃・無限城編 第一章 猗窩座再来』を観てきました。


上杉謙信公をお誘いしたので、観賞後にご感想をお聞きしました。


お取り次ぎは、いつも通り、N女史にお願いしました。




🌕上杉謙信公『切ない・・・。


いつの世も、抱える問題が同じ。


ひとが悩むところ、陥る勘違い


いつの世も一緒である』




N女史◉あの時代、謙信公は悪しき者を罰する、成敗することが世のためだと思われたそうです。


それも一つの真実ではあるけれども、

その先にあるものは、弱き者を守るという観点で、多くの人は、その手前の所まではたどり着ける。


悪しき者を罰するところまでは行けるけれど、その先の、心の静けさみたいなもの、弱き者を守って、穏やかに生きるとか、静けさの中に生きる所までは辿り着けない。


悪しき者を退治するところまでは皆が行き着く感じですが、でもそうではなくて、その先にあるものは、弱き者を守る為に自分が静けさの中に入る感じなんです。


それが、仏門なのだそうです。


祈りなんだと思います。


いつの世も同じ、と聴こえます。



なので、戦いの先にある境地というものを皆が理解すると良い。


安らぎに身を置くためには、刀を置く必要がある。


それを、お互いが出来た時に平和が訪れる。


その為に祈る。


自分達の為だけではなく、相手方の幸せも祈る。


そこまでいった時に、はじめて世の中が変わる。



この映画も、そこまで伝えられたら、もっと素晴らしいと、おっしゃっています。





🌕謙信公『鬼滅の刃は、ハラハラドキドキする。


善い人も登場するけれど、報われないで死んでしまったり、幸せになれない・・・』




しかし、お互いに刀を置いて、祈る人が増えれば増えるほど、変わっていく。


鬼が力の正しい使い方を知って、人間を守るようになったら、平和が生まれる。


そこに辿り着くには教養が必要だ。


教養が無いと、感情を制御出来ない。


その教養が仏法だと、おっしゃっています。



世の中のひとは、人に上下関係を作りたがる感じです。


鬼と人間も上下になっていて、協力が無いと。


鬼が出来ないことを人間がやって、人間が出来ないことを鬼がやる、みたいな協力が出来た時に、はじめて安らぎが生まれるみたいです。


なので、『鬼滅の刃』も、この観点が入るともっと良いのに、と思ったそうです。



(*本当にそのようなストーリーだと、エンタメ的には面白くないかもしれません(笑)


ずっと戦いの世界にいて、勝つか負けるか、殺るか殺られるかということを繰り返してはいけない。


いつかは、赦しあって和解する。


争っていない状態が本来のひとの姿だと。


また、自分と他人を比較して、どっちが上だとか下だとか、競いあって、優越感に浸ったり、自分を卑下して落ち込んだりすることは無意味である。


お釈迦様の教え、「天上天下唯我独尊」「平等心」・・すべての人が、皆等しく尊い存在である。


それを知ることが大事だと、おっしゃりたいのだと思います)





N女史◉助け合うという関連で、“武田に塩を送った”話が視えます。



🔵謙信公が武田方に塩止めをしなかったことで

武田信玄が御礼に刀を贈ってきたという話があります。

そんなことが本当にあったのか、謙信公に伺うと、



刀など貰っていない。


刀は貰っていないが、信玄が礼を言うということで、鎧兜を贈ってきたとのことです。


それが上杉方が持っていないような、上等な甲冑だったので、今の言葉で云えば、マウントを取る為にこれを贈ってきたと分かったそうです。


(N女史も、この甲冑を贈った意図に毒気のようなものを感じるとのことです)



信玄は、塩のことで、マウントを取られっぱなしでは気が済まない人間だった。


信玄には教養が無いと思った。


こちらは善意でしたことなのに、善意で返してこない。


信玄がこうだから、戦いが終わらなかった。


そのことをとても残念に思っていたそうです。


関係改善のチャンスだと思い、このことを通じて友情を作れたら良いという思いは、微塵も伝わらない相手だと分かった。


戦うことしか頭に無い人間だと思った。



(*武田信玄との一騎討ちのあった、第4次川中島合戦の目的は、信玄を討ち取ることではなく、信玄の考えを改めさせて、協力関係にしたい、というものだったそうです。


しかし、信玄は拒絶した為に、やむなく互いに刀を取っての一騎討ちになってしまったとのことでした。


詳しくは、別の機会に書かせて頂きます)





🌕謙信公『戦いながらも、相手を思う心が無ければ、本当に残酷なものになってしまう。


やむを得なく戦うにしても、相手のことを祈りながら戦う、そんな気持ちでなければ、お互いが浮かばれない。


だから、戦いというものは、とても深いものがある。』






🔵昨年の7月に、武田信玄の娘の松姫様のお墓参りに行きました。その直前のセッションで、謙信公が以下のことをおっしゃっていました。



『本来の姿・・・


本来、敵も味方もなく、ひとは互いの立場によってそうなってしまうだけ。


立場によって翻弄されるのが人間である。


でも、蓋を開けてみると、じつは同じ心の持ち主だったりする。


そういう者同士が、酒や甘いものを・・』



謙信公は涙を流されながら



『仲良く共に食する・・・それを切に願う・・・


生きている間にそれが出来ていれば良かった・・・本当は


生きている間にそれを実現させたかった・・・』







🔵謙信公は7才で禅宗の寺に入れられたのですが、14才の時に武将にならなくてはいけなくなりました。


本当は、ずっとお坊さんのまま一生を終えたかったのではありませんか?とお聞きすると、



🌕謙信公『武将がのちに出家することは多いが、自分の場合は逆だった。


安らかな世界から、刀を握って戦いの世界に入らなくてはならなくなった。


このような運命になって、この業はどこから来たものか、いつも考えていた。


いつか自分も武将にならなくてはいけなくなるかもと思いながらも、心のどこかで「大丈夫だろう」と思っていたが、そうはいかなかった。


あわよくば、このまま僧侶でいられたらと思っていたが、そうはならなかった。


この業はどこから来るのだろうと考えると、いつも切なかった。


自分が輪廻の中で、沢山の過ちを犯してしまったのか、それでまた過ちを犯さなければいけなくなるのかと思うと、もう、ほとほと逃げたかった・・・』





 🔵別の機会に


『自分は僧侶でしかない。戦は大嫌いだった』


と、おっしゃっていました。



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☆私は鬼滅の刃が凄く好きで、無限列車編は4回観に行きました。

今回の映画も何度も観に行くことになりそうです。


原作者さんや、製作に携わっておられる方々に心から敬意を表したいと思います。



謙信公が、この映画を真剣に観てくださったことが分かって、嬉しかったです😊






















































🍀こちらのブログにご訪問くださいまして、誠にありがとうございます🍀



2025年3月29日のN女史のセッションの内容をご紹介させて頂きます。



私は、セッションのなかで、ご縁のある方々が語って下さったことを本の形にして残したいと考えています。



そのことについて、N女史に降りてきた情報をお伝えくださいました。



本の内容としては、歴史上の人物のレッテルを剥がす、歴史的事実だけではなく、その人物の心情まで理解して伝えるのが良いとのことでした。




🔶松姫様(武田信玄の娘)『今の世の中の人が、人の心にいかに鈍感になっているかを気づいて貰う必要がありますよ。』



🟢N女史『上杉謙信公は人の心とか機微に敏感で、配慮が細かい方だったみたいです。


心が全てといって過言ではありませんよ、いった感じです。


”塩を送った“のも慈悲心からで、公正であろうとしたその精神の元は慈悲の心。


本来の人のあり方を伝える。


本当は人はどうあったら良いか。


焦点がそこにある感じです。』



N女史によると、今の世の中のひとは、精神修養がなされていないと感じるそうです。


『武士の精神修養について書くということなんじゃないかと思うんです。


「精神修養がなされていないとカオスになる。

やったもの勝ち、言ったもの勝ちになる。」


謙信公から聴こえます。


「これは世の中として、誠に宜しくない」と。


悔しい思いを持つ者が敵を作り、倒そうとする。

それなので、精神修養を行うことによって、社会を変えるために力を使っていく、その道筋を作っていく感じです。


それを実際に、宇佐美さんと一緒にしていたと、聴こえます。


実践でやっていたと。


(私は戦国時代に宇佐美定満という武将で、謙信公に仕えていました)




“お塩”のことが出てきます。


塩を止めなかった、公正であろうとしたことも、精神修養で身に付いた感覚のようです。


宇佐美さんも精神修養をとても重んじていたと。


ウソの無い、フェアであるということのようです。


現代社会に足りていないのは、精神修養なのかなと思います。


そこを伝えて欲しいそうです。』



私が、上杉謙信公は少年の頃から禅を学んでいたことをお話すると、



🟢N女史『禅とかマインドフルネスというものは、


「自分の心を自分で満たす。

自分の幸せを自分で作る」


というイメージなんですよ。


戦国武将でも、精神修養していた人と、していなかった人では、生き方に違いが出ていたようです。


していなかった人は破壊していくイメージ。



日常で出来る精神修養の方法をお書きになると良いみたいです。


わざわざ修行に行かなくても良い方法です。



その前に執着を取る必要がある、と聴こえます。


多くの人は執着をしていて、特権意識を持っているイメージです。


自分を特別な存在まで持っていこうとする、みたいな感じです。



「でも、それはあまりにも小さい。小粒だ」と、謙信公がおっしゃっています。


「もっと、大粒とか、大輪の花のように咲くことが大事だと。それは世の中のために」



なので、伝えて欲しいのは、精神修養の心なんだと思います。


戦国武将の生き方、どのように精神修養していたか。



「一番得意なところだろう、精神修養は」と、謙信公がおっしゃっています。




お天道様が見ている、といったイメージなんですよ。


だから人が見ていようが、いまいが、変わらない生き方、あり方。


損得ではなく、人によって態度を変えない、ぶれない生き方。




こう聴こえるんですよね。


徳川家康公が多くの人に可愛がられていたとか、愛されていたとか、

そのコツ、なぜそうなれたのかを知ると良いと。


それは、特権意識ではなく、弱いダメな至らない点をよく理解している感じです。


自分が至らぬことが分かり、人を頼れる、頭を下げられる、感じです。


頼むとか、素直に言える、そんな感じです。



「本当の精神修養というのは、自分を省みることだ」

と、聴こえます。


それは、至らぬ自分を認めるとか。




つまり、家康公は内観していたイメージです。


自分を理解して、客観視していた。


それゆえに、見誤らない、感じです。



自分を過剰に評価をすることもない、


身の丈を知っている、自分の分を理解している感じです。


それで、この人を支えなきゃと、皆が思う。


あぁ、この人は弱いんだ、何か支えなきゃいけないなとか、


皆の中に、責任感を呼び覚ます感じです。


役割を持たせるとか。


これが結局、戦略なんだという感じです。


精神修養が出来ていないと、これが出来ないという感じです。


頭が下げられない、という感じです。



なので、精神修養について書いて欲しいみたいです。


フラットな目で見て、という感じです。



🌕謙信公『家康になんの障りがあるか』


引っ掛かっている所はどこか?というイメージなんですが・・・



🔵私は、以前から徳川家康について、あまり良い印象は持っていませんでした。


豊臣を滅ぼして覇権を奪ったのも、自分の野心を満たす為ではなかったのかとか。


豊臣を滅ぼすまでの過程も、ズル賢いやり方をしていたとか。


性格も、武将としての能力にも魅力は感じてはいませんでした。


そんな話をしますと、



🟢N女史『多くのひとは、そういう目で戦国武将を見ているということなんだと思います。


それを変えて欲しいんだと思います。


真実の姿を伝えて欲しいイメージなんです。



家康公って、特権意識が無かったイメージなんです。むしろ。


皆に、甘え上手なイメージなんですよね。



天下泰平という目的の為ならば、家臣をそのように仕向ける技を持っている感じです。


謙信公は、そういう感じよりも、パートナーシップだったイメージなんです。(家臣との関係)


でも、家康公は、自分との戦いというイメージです。


家臣をそのように手なづける、目的に向かわせるイメージです。



『そこは負けた』というイメージなんですよね。(謙信公が)


笑いながらおっしゃっている感じです。


『そこは素直に認める』


笑っていらっしゃるんですよ。



家康公は、本当の意味で精神修養されているみたいです。強いというか。


だから、家臣を見事に目的に向かわせている、


自分に向かわせているのではなく、目的に向かわせているんです。



でも、謙信公は、自分と共にいられる者と密だったイメージです。


家康公は、家康公がいて、周りのひとは別、といったイメージです。


でも、この周りの人達を、平和の目的の為に向かわせているイメージです。



『そこは頼む』という感じです。


真透さんにお願いしたいのは。


家康公は、そこまでの精神修養が出来ていたからこそ、平和が実現出来たと。


それぞれのスタイルがあっても、意図が明確だったと。



謙信公は、エクソシストっぽい感じです。


悪い者がいたらダメだよ、と噛みつく感じです。



でも、家康公は、ここではなく、もっと上に目的が明確にあって、


謙信公も、これが無かったわけではないけれど、天下泰平までいってなかったイメージです。本当の意味で。


自分が作るというよりは、悪い者たちが居なくなれば、天下泰平になるだろう、というイメージです。



でも、家康公は、天下泰平の世を作ると、意図したイメージです。


それなので、制度を整えたイメージです。


さらに上をいっていたイメージです。



謙信公が、「ここは潔く負けを認めよう」みたいな感じです。


真透さんが、本当は謙信公がお好きでも、他の武将のことも書くフラットさ、みたいな。


つまり、目的の為なら、そこはフェアである、

みたいな。


「ここを見せるんだぞ」


「我々が見せるべきはここだ」


という感じです。


「何が正しいかは、悔しくても、そこに至るのであれば仕方がない」


「それでこそ男」


みたいな感じです。


フラット、ニュートラル、嘘がないイメージです。


清々しさを感じます。





今日、お酒を酌み交わす時に、塩辛がいい感じです。


「塩辛で一杯やって、慰め合おう。

次の戦術を練ろう」


という感じです。




それは、戦うのではなくて、自分達だけじゃなくて、凄い人がいるのなら、凄いということを伝えよう。


世の中の為になるのであれば、そこを目指そう。


という感じです。


世の中の為ということが、戦うのではなく、世の中の本来の姿だと。


人の道というか。




緑色とタコが見えます。


(以前に謙信公が、酒の肴には、”タコわさ“がいいとおっしゃっていました)



多分、飲まないとやってられないというのもあるんだと思います。


少々の悔しさもあるんだと思います。(笑)



でも、ひとつ言えるのは、そういう武将が沢山いる上での徳川家康公だったみたいです。



みんながいろんな失敗を重ねて、これじゃいけないということを学んだ上での家康公だったようです。



なので、「途中の一助になれたことは誇りに思おう」と、おっしゃっています。




で、「飲もう、飲もう」という感じです(笑)


「お酒は辛口」と聴こえます。


「頼む」という感じです。』




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家康が旗印に使っていた言葉は、


『厭離穢土   欣求浄土』(おんりえど  ごんぐじょうど)



というものでした。


この言葉は浄土宗の仏教用語で、「汚れた世(俗世)を離れ、極楽浄土への往生を喜び求める」という意味だそうです。


戦乱の世を終わらせて、人々が安心して暮らせる平和な世の中にしたいという、家康の願いが込められていたのだろうと思います。






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セッションの中で、N女史が謙信公をエクソシストっぽいと表現されました。


足利幕府13代将軍・足利義輝、関白・近衛前嗣、上杉謙信との間で、ある密約が結ばれました。


上杉謙信がまず関東を平定した後、上洛して、政治を壟断していた三好長慶や松永久秀らを排除する。


朝廷・公家の威光、将軍の権威、そして武将の力を結集して、幕府を立て直す。


この密約は、将軍が主導し「貴族・幕府・武士の伝統的三位一体」を再建しようとした試みでした。


実際に近衛前嗣は関白の身でありながら、越後、関東に下向し、謙信公は関東の武将を糾合して小田原の北条を攻めるという行動に出ました。


しかし、将軍の足利義輝が、三好、松永に殺害された為に、この戦略は水泡に帰しました。



上杉謙信公には、自ら天下の覇権を握ろうという考えは最初からありませんでした。




セッション後に、いつも通りお酒を飲ませて頂きました。


正直、少し寂しい気持ちになりました。


ですが、家康の優れていた所を、素直に認める謙信公の度量の大きさをあらためて感じて、

「惚れてまうやろ!」

という感じでした(笑)


でも、やはり悔しさはあるだろうなと思います。


もしあの時代、家康と戦っていたなら、決して負けはしなかった、というお気持ちはきっとおありだと思います。






次回のセッションでは、第4次川中島の戦いについて、上杉謙信公に詳しくお聞きしました。


武田信玄との一騎討ちの内容には正直驚きました。









 

















































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