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2025年7月16日に、平将門公にインタビューした内容をご紹介させて頂きます。
お取次ぎは、スピリチュアルカウンセラーのN女史にお願いしています。
平将門公について知ろうとした場合、一番に読まれる資料は「将門記」という文書です。
作者は分かっておらず、将門公が亡くなって間もない時期に書かれたものなのですが、内容が事実なのか確かめることは難しいです。
そこで、将門公ご本人に疑問点を伺うことにしました。
以前のセッションで、将門公が
「自分は首塚にはいない。
神田明神でもなく、築土神社が本拠地なので、そちらに是非来て欲しい」
と、おっしゃいました。
🔵N女史
『将門公がほかに行って貰いたいとおっしゃっているのは、川口市(埼玉県)にある、密蔵院というお寺なんです。
将門公と深いご縁があるようです。(お地蔵様がご本尊のお寺)
みんなに救われて欲しいそうなんです。
お地蔵様は六道すべてで人々をお救い下さるじゃないですか。
なので、どの人も救われて欲しいと。
将門公に縁のあるお地蔵様があるお寺という感じです。
宝物を預かって貰っているイメージなんです。
お地蔵様によって、誰もが救われて欲しいというのが将門公の祈りだとすると、その祈りの象徴がお地蔵様で、そのお地蔵様を預かって頂いているという感じです。
だから皆にこのお寺にお参りに行って貰って、ゆとりとか、非合理なものを味わって欲しいと。
皆が合理性を追求して、どんどん色んなものを削ぎ落として便利にしていっているようだが、本当はお地蔵様に祈る、こういう時間こそが人の道。
人の道を思い出して欲しいと。
不便な場所にあるんですよ。
私もひょんなことから、ここに行くことになったんですね。
それでお参りさせて頂いたことがあるんですけど、凄く辺ぴな場所にあるんですよ。
でもそういう所にわざわざ足を運ぶみたいな余裕があってこそ人間である。
そうでないと、ずぅーと、これでもかこれでもかと貪り続ける。
人ではなくなって、ケダモノになっていく感じです。
人間というのは、お地蔵様に何を見るとか、
お地蔵様の中に何を見いだせるのか、
お地蔵様は何を考えているのだろうか、
何か見えないものに意識を向けていく、
その姿勢がとても重要という感じです。
権威権力を追い求めることも、それを手に入れることによって、多くの人を救えるという意味では素晴らしいけれど、それを違う形で使っていこうとした時に墜ちるという感じです。
その時にはじめてお地蔵様に祈っていくみたいなことのようです。
なので、今の社会でドロップアウトしてしまったような方が、お地蔵様に祈って、そこで救われていくみたいな経験をして欲しいそうです。
なんか、真透さんなら分かると思うという感じなんですよね。
伝わるはず、という感じです。
本当に、やってもやっても報われず、
つまり、コントロール出来ないのだと分かった時に、お地蔵様に向かうという感じです。
分かりますか?
真透さんなら分かると聴こえるんです。
コントロールが出来ない時に、お地蔵様の所に足を運んでみようか、みたいな気持ちになるという感じでのようです。
何か夢破れるとか、多くの人が将門公のことを無念だと思っているだろうと。
夢半ばで敗れた・・けれど、夢破れてお地蔵様の所へ行くか、天国に行くか、という感じだったそうです。
本物の地蔵菩薩に天で会ったそうです。
救われたと。
なので、恨みつらみと言われるけれど、
己の限界だったのだから仕方がないと。

🟢わたし『将門公が関東を制圧した時に、一人の巫女がやってきて、新皇と名乗りなさいと、お告げを伝えたと云われています。
本当にそんなことがあったのですか?
本当に新皇と名乗ったのですか?』
🟣 将門公『新皇と名乗ったつもりはないけれど、新皇と呼ばれた』
🔵N女史『新皇になりなさいと言われた感じです。
それは確かに言われた感じです。
ですが、新皇という言葉に、何の意味があるのか、よく分からなかった感じです。
でも言葉ではなくて、名前ではなくて、
ここの人々の苦しみに、どれだけ寄り添えるかが全てなのに、と思った。
その時に思ったのは、
「ああ、この者(巫女)は、もしや本物ではないな」と、思った。
求心力という意味で、お名乗りなさいということだったが、
求心力とは名前で果たして得られるものだろうか、
そうではないだろうと思った。
そんな名前を変えたぐらいで、何かが変わるとはとても思えない。
それで変わるのなら、いくらでもみんな名乗っていよう。と、そう思った。
なので、話し半分も聞いていないという感じです。
何かこれは誰かの差し金ではないかな、と思った。
でも、そういった差し金でも何か、この我を想ってのことであるのなら、無下には出来ぬ、と思った。
本心では、これはちょっとお話にならないなという感じだった。
本質が全く見えてない、分かっていないなというのがあった。
でも、それを黙って受け取った、という感じです。
🟢わたし『ということは、天皇家とか朝廷をひっくり返そうという考えはなかったということですよね?
自分が天皇になり替わろうという意思は無かったということですよね?』
🟣将門公『そうではなく、朝廷とか天皇を懲らしめてやるとか、そういうことを思っていたのではなく、(関東を)独立させたかった。
独立した中での名前が新皇であれば良かった。
他はどうでもいい。
ここだけ独立出来て、そこで新皇というものであったのなら・・そういう武将が沢山出たらいい。』
🔵N女史『今の県知事さんみたいなイメージです。
みんなに選ばれた人がそこを治めて、
その土地土地に合ったやり方を、その土地の決まり事にしたらいい感じです。
そうでないと、通りいっぺんの決まり事は土地に合わない。
それが苦しみの元になる。と』
🟢わたし『その考えを朝廷が認めなくて、攻め込んできたから戦ったということなんですよね?』
🟣将門公『結果そのようになった。
なってしまった。
本当は、何度も何度も掛け合って、頭を下げて許しを請いたかった。
自分がそれをすることで、(関東を独立させて治めること)
他の地域も、それぞれが治めていくことが出来たなら、とてもいいんじゃないかと思っていた。』
🔵N女史『でも、お話にならないといった対応だったようです。
聞いてはとても貰えなかった。
何か、足蹴にされたというレベルではなくて、罵られたとか、凄く悔しさが伝わります。
人間が吐くような言葉ではないような、そしりを聞いた、あざけり笑われた。
田舎者だとか・・何か匂うみたいなことを言われた感じです。
田舎がせいぜいな侍だ、みたいな。
何かそういう、そしりとか、罵りを受けた感じです。
その時に、「ああ、ここは人間の暮らす世界ではない」と思ったそうです。
笑い者にされて、恥をかかされた感じです。
身の程知らず、みたいなことを言われたみたいです。』
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ここで、将門公の最期はどうだったかのお話になり、
🔵N 女史『「御免」と言って首を斬られたと。
そして、すぐに宙に浮かんで、上から見ていた光景を見せて下さった時、
膝をついて男泣きをしている藤原秀郷さんの姿を見ていらっしゃるんです。
「無念。
斬らねばならなかったことが無念。
無念極まりない。」
その言葉を聞き、その男泣きを見た時に、
「すべてが終わった」
「許さなければならない」
と思ったそうです。
🟢わたし『京へ連れて行かれたのですか?』
🔵N 女史『京ではない感じです。
建物の中で斬られたのではない。
何が悔しかったかというと、
「この中が汚れる」と言って、
建物の中ではない所で斬られている感じです。
建物の中にすら入れて貰えない。
本当は京の御所の中で斬られていたのなら、
もうちょっと気分は良かった感じです。
でも、阿呆みたいなことを言われて、
虫ケラ同然みたいなイメージなんですよね。
なんの価値もないわ、みたいな感じで、
サッサと命を落としてこいとか、
下らない命だ、みたいなことを言われたイメージなんです。
一人だけ殺されるならまだ良かったけれど、
一族郎党が滅ぼされた。
これをお伝えしていると、ものすごく肩にくるんですよ。
だからですね、将門公おひとりじゃないと思います。
今いらっしゃっているのが。
見せしめにあったんだと思います。
自分だけ御所に呼び出されて殺されるというやり方だったら良かったけれど、そうじゃなかったことが誠に残念という感じです。
自分が殺されたことが無念なのではない。』
🟢わたし『一種の計略とか、騙し討ちみたいな目に合ったのですか?』
🔵 N女史『私に分かりやすくお伝え下さっていると思いますが、今でいうクーデターに近いイメージです。
そもそも朝廷側の人達は、将門公側を相手にしていない感じなんです。
あんな田舎のなんとかと言われていて、相手にされていなかったみたいです。
でも、将門公は相手にされたかったわけではなくて、このやり方には無理があるということを伝えたかっただけ、という感じなんです。
意見として。
その土地土地の様子を見るとか、その土地を良く知っている長がいてこそ、うまくそこが潤う。
その年の状況を、土地の長と話し合って、対応を決めるやり方が、思いやりとか道理だと思います。
朝廷は道理が分かっていないから、道理というものを伝えに行っただけ、という感じです。
地方の状況を調べもしないで、一方的にルールを押し付けるやり方をしていると、全国でクーデターが起きてしまうイメージなんですよね。
それだけ分かって欲しかっただけなんですよね。
凄く肩が痛いんですよね。
頭が悪いというか、道理が分かっていない。
つまり、無知なんだと思います。
朝廷側の人達が無知で、無明なんだと思います。
新皇になりたかったわけではなく、道理を理解しての政事でないと、上手くいかないということだけ伝えたかった。
つまり、仏教でいうところの自明だと思います。
将門公はそこが自明だったということをおっしゃってるんだと思います。
そのくらいの事は誰が聞いたって分かりそうなものなのに、という感じです。
でも朝廷は無明だから、道理をちゃんと考えて下さいと、上申しに行こうとした。
それを受け入れないのなら、一人だけに裁きを下せば済むことなのに・・・
ここの土地を凄く汚された感じです。
バカにされて。
血の海を見せられるんです。
🟢わたし『最期は朝廷軍が派遣した武将と戦って、討ち取られたと文書に書かれてるのですが、実際にそうだったのですか?』
🔵N女史『そのようです。
やはり、斬られていると思います。
「御免」と言って斬られた、と聴こえるので。』
🟢わたし『将門記には、将門公は若い頃、藤原忠平という、政治の中心にいた大貴族に仕えていたとあります。将門公にとってどのような人物だったのですか?』
(藤原忠平は、平安時代中期の政治家であり、摂政・関白として朝廷の政治を主導した、藤原氏の中心人物でした。)
🔵 N女史『その藤原忠平さんのことを物凄く恨んでいると思います。
御免と言って将門公を斬った藤原秀郷さんは、膝をついて無念無念と涙を流して詫びていたので、許せた感じです。
でも、忠平さんについては、何度殺しても許せない感じです。
この人は、卑怯だったんだと思います。
あることないことを・・・
つまり、道理を伝えたかっただけなのに、
生意気にも上申しているとか、
おおげさに、おおげさに喧伝した。
「こやつがいなければ、こうはなっていない」
こやつが元凶で、こやつさえいなければ、
もっと穏便に終わった。
自分は絶対に引かないつもりとか、そういうことではなかった。
それなのに、クーデターを起こすと言われてしまっていた。
それは後でわかった。
そんなつもりなんて全然なかったのに・・
ただ、政をするなら、こういう道理でやったらいかがでしょうか?
ということだけを伝えたかった。
それなのに、こやつのせいで。
自分の命が取られたことが痛みとか悔しいのではない。
この地を汚されたことが許せない。
という感じでなんです。
すっごく悔しいんだと思います。
体をボリボリ搔いている感じです。
むしずが走る感じです。
発狂したというか、心が一度壊されたんじゃないかと思います。
この卑怯さにです。
道理を知らない、保身だけを考える人間が政を行うと、こんなことになるのかと。
将門公が亡くなる前から、
「この者は呪いだ。
この者は朝廷を恨んでいて、呪っている」
と、言われていたようです。
🟣将門公『自分の思いは愛国心だったのに、それを踏みにじられた』
🔵N女史『将門公は、朝廷とか国を呪っているのではなく、この方(藤原忠平)を呪っているんだと思います。
この方に一点集中みたいな感じです。
この方の子孫は、よく亡くなっているんじゃないですか?
ご存じですか?
🟢わたし『忠平のことは良く知らないのですが、忠平の兄である藤原時平は、菅原道真公を讒訴した人物で、道真公が亡くなった後、時平ほか讒訴に関わった人間が不幸に見舞われたと伝わっています』
🔵N女史『だとすると、この家系がそういう家系なんだと思います。
疫病神みたいな。
この一族に関わった者は、疫病神ゆえ怨霊にされてしまう、という感じです。
『道真公も自分も国を想っていた。
その愛国心を踏みにじった家系』
この家系は、愛国心が無かったから、今なにか国によって滅ぼされている感じなんです。
国益を望むのではなく、自分達の地位を守るために手柄を立てようとした感じです。
例えば、そなたのおかげで、攻められないで済んだとか、
そなたのおかげで、こやつに振り回されないで済んだとか。
天皇から覚えめでたい存在であろうと、
それだけを願っていた一族だった。
でも、菅原道真公も、平将門公も、愛国心を持っていた、という感じです。
伝えたいのは、物の道理が分からないということの罪深さと、それが多くの人を苦しめるということ。
更に、わびさびが分からない。
人の儚さが分からない。
この2つの罪が伝わります。
無知で、わびさび、人の気持ちが分からないような動物や鬼畜のような人間になってはいけない。
ここを伝えて欲しいそうです。
真透さんなら分かると。
これが如何に鬼畜のようか、人を苦しめるか。
今の日本の経済は道理を得ていない。
だから多くの国民が苦しむと。
つまり知性が低いとおっしゃってるんじゃないかと。
なぜそんなに知性が低いか?
当然だと。
『蹴鞠を蹴っているからだ』と。
つまり、実地で学ぶとか、そういうことをせず、蹴鞠を蹴って遊んでいて、政など出来るわけがないと。
相手の立場を理解出来ぬ者が政などしても、
良い政など出来るわけがないと。
だからこそ、実地訓練されている、その土地の者の意見が大事だと。
べつに蹴鞠を蹴るなとは言わない。
でも、蹴鞠を蹴っているだけでは分からないものがある、
自分達の未熟さを認めて欲しい。
ここが未熟なのなら、知見のある者の意見を取り入れての政をしよう、せめてこの位の知性だけは身に付けて欲しかった。
蹴鞠を蹴っていたいのなら、有識者の声を聴いて、その上で第三者を含めての政なら、とても上手くいったはず、と聴こえます。
これが本当の愛国心だと。
当時の天皇や朝廷の人達には愛国心が無かったということをおっしゃってるんじゃないかと。
有識者とか、地元の有力者から声を聴いていない感じです。
だから蹴鞠を蹴っている人達が決めたことが全てになっていて、無理なことを課していたようです。
そして、逆らう者がいたら、平気でその命を奪う。
でも本当は、剣はそのためにあるのではない、と。
🟢わたし『将門公の首塚の祟りの話は有名です。
関東大震災のあと、大蔵省の仮庁舎を建てる為に、首塚を壊す工事を始めると、大蔵省の関係者や工事関係者に死者が続出したという話ですが・・・』
🔵N女史『いや・・もうですね・・唇を震わせて怒ってますね』
🟢わたし『それはどういう意味の・・』
🔵N 女史『つまりですね。
政に、とことん、亡くなってまでも負けなければいけないのか。
また、政治を司る者に、そうやって、亡くなってまで、また恥をかかせられる、惨めな思いをさせられる。
それは我慢ならぬ。
人の心に対する無関心さ。
礼節の無さ。
敬いの無さ。
政に携わる者に命を奪われた者が(将門公)、
また政に関わる者によって墓を破壊されたら嫌だろうと、なぜ思えぬのか。
大臣や役人が墓を壊すことを許して貰いたいと参りに来ても、それを本当に壊すとか、どかすということは道理に外れてはいないだろうか。
🟢わたし『やはり関係者が次々に亡くなったことは、将門公が懲らしめるためになさったことなのか、それとも偶々起こったことなのですか?』
🔵N女史『偶々ではない感じです。
「それは、見せしめ。
見せしめられたから、見せしめ。」
でも、将門公だけのご意志だけではないようなんです。
藤原秀郷さんも関わっているようです。
『その者が守ってくれた』
『敵味方を超えて
「本来、こういう者が政を担うのが一番良い。正しい」と、
秀郷が思ってくれていた』
つまり、道理の分からぬ者が、本来、やってはいけない者が政を行っていると。
そのことを秀郷は分かっていたと。
首塚を壊した後、亡くなった方達は、
平安時代、朝廷で政をしていた人達の生まれ変わりだそうです。
前世のカルマで巡り合わせたようです。
🟢わたし『生まれ変わっても、人の心が分からない人達だったみたいですね。
将門公のお墓を壊すような人達だったわけですからね』
🔵N女史『そのようです。
『因縁とは、そういうもの』と聴こえます。
とことん、もののあわれとか、恨みとか呪いによって知ったのは静寂。
もう、ただただ、仏門に入って祈ることの尊さ。
自分の中から、怒りとか恨みがガーッと湧き起こる、その感情を自分から出したくても出したくても出せない、それを精神修養していくイメージなんです。
六根清浄のような。
そこに至るまでの道筋、道のりというのは、本当に険しいものがあるようです。
朝廷側に直接斬られたのなら、まだ良かった感じなんですよ。
なぜなら、こういう人達は何も分からないからこうなんだなと思えるから。
でも、一枚噛んだ人がいて、その人がややこしくしたおかげで、謀反を起こそうとしていると喧伝されてしまった。
地元では朝廷の政に不満を抱いていたが、謀反を考えていたわけではなく、ただ道理を伝えようとしていただけ。
朝廷の人間達には道理を言っても伝わらないから、一人だけ呼び出されて殺されたのなら良かったけれど、この藤原忠平によって、はめられたことが一番許せない。
天皇、朝廷ではなく、この方が許せないんですね。
凄く体がかゆくなるんですよね。
本当は、こちらの話を聞いて、橋渡し役をして欲しかったが、実際はかえって引っ掻き回して、事態を悪化させた。
一番相応しくない人が政を行っていたと。
ここで忘れないでいて欲しいのが、
聖徳太子様の冠位十二階で云われている「実力主義、能力主義」の大切さ、だと。
相応しくない人を重職に就けると大変なことになる。
でも、本当に勤勉で、志がある、愛国心のある人をそこに据え置いたなら、もっと穏やかな国になると。
🟢わたし『将門公は、どのようなお姿をされていますか?』
🔵N女史『いま見せて下さるのは、甲冑を着ておられる姿です。
真透さんの後ろに飾られている武者人形のような鎧兜を着ておられます。
でも、ボロボロです。
髪が乱れていて・・
(私の後ろに、平安時代様式の甲冑の五月人形を飾っていました)
🟢わたし『今日は、将門公にお話をお聞きするので、この五月人形を飾ってみたんです』
🟣将門公『だから、そなたは道理が分かっておる。
つまり、なりたかったのは、
天皇でもなく、新皇でもなく、
本当の武士になりたかった。
その武者人形を飾ってくれた宇佐美に感謝する。
(上杉謙信公も平将門公も、私のことを前世の名前でお呼びになります。
私は戦国時代、宇佐美定満という武将で謙信公にお仕えしていました)
でも、これを例えば、首塚を壊した者達なら、自分が惨殺された場面の絵を飾ってしまうだろう』
🟢わたし『将門公は、もののふの基(もとい)を作ったと云われているんです』
🔵N女史『(将門公が)泣いてしまわれていて、
「さすが宇佐美」と、
すごく泣いてしまわれています』
🟢わたし『築土神社にお参りした際に、そのような内容の和歌を作ってお供えしてきたんです』
🔵N女史『「さすが」と
すごく泣いてらっしゃいますよ。
欲しかったのは、そういう気持ちだと。
だから、もう今は、首塚はべつにいい。
築土神社さえあれば。
そういう者が、時々、足を運んでくれたら、
それだけで充分。
人を讃えることを知らない人達は、本当に恐ろしい、という感じです。
”武士の礎を作った“ということを知って貰いたい、ということのようです。』
🟢わたし『微力ですが、今日伺ったことを、なるべく多くの人に知って貰えるように努力したいと思います。
将門公は長い間、誤解されてきたと思いますので』
🔵N女史『でもですね、宇佐美の為すべきは、それを知って貰うということではない、という感じです。
それを知って貰えたら嬉しいだろうな、ということが分かる、思い遣りの大切さを伝えるお役目だ、という感じです。
凄く泣いてらっしゃいます。
それが名誉回復になる。
讃えて貰えることが、この方の尊厳の回復だ、
復活だ、という感じです。
それを良く心得ている、と聴こえます。
人の道理とはそういうもの・・「仏性」と聴こえるので、生き仏ということなんじゃないかと思います。
「仏性」と漢字を見せて下さいます。
心意気ということのようです。
蹴鞠を蹴っていて、心意気の無い者に政など出来るわけがない、と聴こえます。
本当に伝えたかったのはそのこと。
だから、そこから抜本的に改革をしていくことが筋だけれど、でも、叶わなかった。
分かる者にしか分からない。
理屈ではないから。
なぜか急にですね、謙信公がいらしてですね、
『祝杯をあげよう』
と、おっしゃっています。
もののあわれ、というものが分からぬ者、
理屈ではないものを掴みとれない者の人生はさみしい、と聴こえます。
でも、それが分かる人生というものは、こうして亡くなったあとも御縁を頂ける。
だから深い御縁になるということなんじゃないかと思います。
残念ながら、現代社会にそういう人が少ないから、宇佐美が浮いている。
だから宇佐美の問題なのではなく、本来の古来の日本人の魂がちょっと今は忘れられている。
なので、生きているとか生きてないとか、そんなことに拘らず祝杯をあげよう、とおっしゃっています。
源義経公の所にも行ってあげて欲しい、
と聴こえます。
(以前のセッションの折に、源義経公と武蔵坊弁慶さんがいらしたことがあります。
その御礼を兼ねて、岩手県平泉にある、義経公と弁慶さんのお堂にお参りしたことがありました)
そちらでも、築土神社でされたように、御魂を慰めるとか、讃えるということをして差し上げて欲しい、と聴こえます。
人が人を想う心。
時代を超えて、それを思いやる心。
いまの日本人が呼び覚まして欲しいのは、
そこにある、と。
そういうお役目なんじゃないかと思います。
🟢わたし『川口市の密蔵院にもお参りさせて頂きます。』
🔵N女史『「桜の頃がいい」と聴こえます。
たしか桜が有名なんですよ。
(これから)
「一献酌み交わす」とおっしゃいますので、
杯が3つ必要だと思います。
🟢わたし『さっき、お酒とつまみを買ってきましたので・・』
🔵N女史『はい、将門公のぶんもだと思いますので』
🟢わたし『では、後ほど飲ませて頂きます』
🔵N女史『はい、「お風呂に入って・・」』と聴こえます。
(謙信公とお酒を酌み交わす時は、必ずその前に、お風呂で身を清めてから、というのが決まりごとになっています。
戦国時代もそうしていたから、とのことです)
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セッションのあと、将門公、謙信公、わたしの3人で飲ませて頂きました。
辛口の日本酒と、将門公がお好きな「落花生」、謙信公がお好きな「たこわさ」をご用意しました。
セッションでお話をしていると、将門公と謙信公は、お人柄が似ておられると感じます。
お二人ともに、人情に厚く、困っている人がいたら放っておけない、放っておかない方だと感じます。
将門公に対しての当初のイメージは、恐ろしい、気難しい武将というものでしたが、セッションでお話してみると、そんなことはなく、紳士的で、面倒見が良く、現代人を尊重して下さる方だと感じます。
2025年は、将門公が亡くなって1086年目に当たります。
長い間、将門公の真意は伝わってきませんでした。
将門公の心中の無念な想いを推し量ることは、難しいことだと思います。
しかし、御自身のことよりも、人を思いやる心や、人を敬う心を伝えて欲しいと、おっしゃっておられました。
千代田区九段にある築土神社には、将門公がいつもおられますので、将門公にお会いになりたい方にお勧め致します。
将門公のように義侠心を持っている方には特にお力をお貸し下さると思います。
埼玉県川口市の密蔵院のご本尊は、将門公の念持仏で、京へ赴く時にお寺に預けていったお地蔵様です。
多くの武将が戦勝祈願のために拝んでいた勝軍地蔵ではなく、心の安寧と人々の幸福を祈るための地蔵菩薩です。
将門公が心を寄せていた仏様がお地蔵様だったことに、お人柄が偲ばれる気がしています。
茨城県桜川市に五大力堂というお寺があります。
藤原秀郷が将門公を討伐する前に、乱の平定を仏に祈ったのですが、将門公を討ち取った後、「将門の善心を知って」再びこの地でその冥福を祈ったと言い伝えが残されています。


