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今回は、2025年3月29日のN女史とのセッションの内容を書かせて頂きます。



セッションが始まるとすぐに、N女史が、

『最近、聖徳太子様の所にお参りに行かれましたか?』

と、お尋ねになりました。


私は心当たりが無いですと、お答えすると、



『聖徳太子様が視えるんです』


『菅原道真公のご縁みたいです』


(以前にN女史以外の別の方に、道真公と、同じ所で学んでいたことがあると言われたことがありました。)



『社会の平等・・について伝えたい。


平等ではなく、偏っていることが世の中を苦しめている』


『菅原道真様も、真透さんも、偏りで苦しんでいると。


偏見というか、実力がある人が、実力通りに生きられないとか。


使命感があっても、それが許されないとか。


そういものを排除して、フラットにする、ニュートラルに整えよう、いう感じです。』


N女史曰く、祈りを知っている人は1%なんですよね。

あとの99%の人は、自分優先の人達なんですよね。


この割合がおかしいという感じです。


1%の優秀な人が追いやられている世の中を、共に変えよう、とおっしゃっています。


もっと生きやすい世の中、誰もが自由に、活躍出来る世の中、


おのおの、それぞれの分野で。


そこを目指そうと、聴こえます。


菅原道真様と、聖徳太子様が、真透さんを挟んで並んでいらっしゃいます。


私が、聖徳太子様とのご縁をお聞きすると、


『仏教』と聴こえます。


『尽力をした』


『夢を語り合った』


『今の時代、夢が皆から無くなっている。


平等な社会の実現とか、夢や希望を持てない社会になっている。


とても胸が痛む・・・』



自分のことだけを考えるのではない、慈悲を広める為に真透さんは生まれてきたんだと思います。

慈悲がある人が迫害されてしまう世の中を共に変えたいと、おっしゃっています。



『道真様は、能力がある人が正当な立場につけるように。

活躍が出来る社会にしたい』

と、おっしゃっています。






*聖徳太子も、菅原道真公も、有力な豪族や貴族による門閥政治に悩まされたり、苦しめられた経験がおありなので、共通の思いを持っておられるのかなと、思いました。





*大阪に道明寺というお寺があります。

道真公の先祖、土師八嶋が、私邸を寄進して聖徳太子が開いたお寺でした。

当時、そこには道真公の叔母さんがおられたので、道真公は何度も訪れていたそうです。


藤原氏に讒訴され、太宰府に下向する際にも一晩泊まり、


啼けばこそ別れもうけれ 鶏の音の

鳴からむ里の暁もかな


(鶏が鳴いたら別れを急がねばならない

鶏の鳴かない里の暁であったなら)


という、歌を残しています。




道真公は観音様を篤く信仰していたので、日本仏教の祖と云われる聖徳太子をきっと崇敬しておられたのではないかと思われます。








セッションで武将以外の方がいらっしゃったのは、初めてのことでした。



後半は、上杉謙信公が徳川家康について語って下さいました。












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2024年12月21日、N女史のセッションで、上杉謙信公が語った内容をご紹介いたします。



前半の真田幸村(信繁)さんに続いて、後半は上杉謙信公との対話になりました。




🟢わたしから、いわゆる、日本を取り巻く安全保障環境の悪化についてご見解を伺いました。




謙信公は、食糧の話を始められました。


🌕謙信公


自分で食べる分くらいは、自分で育てたほうが良い。


美味しい所だけ取るとか、うま味だけをすするのは、間違っている。


食糧を作ってくれている人達への感謝の思いを持っていないで、お金を出せば手に入ることを当たり前に思っている人が多い。


農業を勧める理由は、地に足を着けて物を考える人が少ないからだ。


本当の強者は、食料を自分で賄えたり、家を建てるとか補修出来たり、何でも自力で出来る人だ。


うま味だけを得ようとする人は弱い。



例えば大きな組織のトップにいて、偉いんだとふんぞり返っている人間の、何が偉いんだと思う。


うま味に乗っかって、俺はここまで偉くなったと、胡座をかいている人間は、とても滑稽に見える。


それよりは、食料は自給できていて、自分の身のこなし方を心得ている人のほうが、実は強者だということが分かっていない。


本当の強者と、弱者の感覚がずれている。


本当の強者は、食料を自給できたり、火を起こせたり、自力で何でも出来る物を云うのだが、社会のヒエラルキーの上にいる物が強者だと勘違いをしている者が多い。


実は、砂で出来た城に住んでいるだけ、ということが分かっていない。




現代の人は危機管理意識が低い人が多い。


有事の時も、政府や自治体が何とかしてくれると思っている人が多い。


ニンジンとか、ジャガイモくらい作れる素養があったほうが良い。


自分のことを自分で守れる人が大人とするなら、現代の多くの人は子供のように見える。


特別なものなんて、何も必要ではない。


ひとりひとりが、ヒステリーやパニックにならずに、安定する、地に足を着けて生きることだけ考えれば良い。


世の中を良くしようとするなら、自分自身がそのようになるしかない。



********************


🟢わたし「今の日本の政治家達をどのように見ておられますか?」



🌕謙信公


『自分の地位や名誉の為に政治をやっている者もいるが、一部の人はそうではない。


政治の本当の意義を理解していない者も多い。


それが分かっていなければ、本物にはなれない。


人々への慈悲。謙虚さ。誠実さ。


いつの世も変わらない。


いつの世も心が大事である。



心なくして、何もなし得ない。』




🟢わたし「国防の極意とは何ですか?」



🌕謙信公


『敵を理解する。


敵を理解していれば、怖いものはない。


なので、徹底して敵を理解する。


それが国防である。』



更に、武田に塩を送ったことも、敵を理解していたからだとのことです。


(実際は、武田に塩をプレゼントしたわけではなく、これまで通り商人に、甲斐の国に塩を売ることを認めたものです。

さらに、商人には、塩を高く売りつけてはならないと厳命したと、武田に伝えています。)


そういうふうにすれば、戦う回数が減る、という考えだったそうです。


こちらからは、戦いを仕掛ける意思はないと伝える意味もあったとのことです。



********************


🌕謙信公


『庭でも良いので、野菜作りをしてみたら良い、


そうすれば、恐怖を感じる必要がなくなる。


憂いているより行動である。』



と、最後におっしゃっていました。








































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2024年12月21日(冬至)の、N女史のセッションの内容をご紹介します。



前半は、真田幸村(信繁)さん、後半は上杉謙信公との対話になりました。


まず、真田幸村さんとの対話をご紹介します。



相談内容は、わたしの所に色々な武将の方がいらっしゃるのは何故かということでした。



🟢N女史「簡単だ」という声が聞こえます。


「それぞれの方が、それぞれの思いで、世の中を変えたいと思って来ている印象なんですよね」


「たとえば、真田幸村さんは、どういった方なんですか?」



🔵わたしが、幸村さんのことを説明する中で、徳川家康のことを憎んでいて、大坂冬の陣、夏の陣で、家康と戦って、最後は敵の武士と戦って討死したと、表現すると、



🟢N女史「それは違う」


「そういうことではない。」


と、幸村さんがおっしゃっています。


負けてやった、という感じなんですよね。


(真田さんを討ち取った武士によると、真田さんは名乗らなかったそうで、後に旧真田家臣だった同僚が気づいて真田信繁だと分かったとのことです)




本当は、家康さんを尊敬していたとか、羨ましかったみたいです。


この方って、一匹狼的な方なんですか?


一族だけとか?


家康さんは、仲間が一杯いて、村のようだったというイメージなんですね。


いっぱい人がいて、いいな、という感じなんですね。


でも、幸村さんは、「家族だけ」みたいな。


人と利害でしか繋がれない、みたいな。



でも、家康さんは、もっと自分の弱さを認めて、人に甘えられる、委ねられる。


そこがとても羨ましい、という感じなんです。


幸村さんは『絶対』というものを重んじていた感じです。


その絶対というものは、恩義とか、家とか、家訓とか・・・


絶対というものを主軸に自分の人生を構成していたと。


幸村さんがおっしゃるには。


でも、家康さんには、『絶対』という考えはなく、その場その場で、コロコロ変える、という感じなんですよね。


調整力が高いイメージです。


それなので、『絶対』を作ると滅びると、

多くの人に伝えたい、という感じです。



そういう戦国武将の気持ちを良く分かるのが真透さん、という感じなんですよ。


心を汲み取ってくれるとか、奥にある深い感情を分かってくれる。


“敵に塩を送る”のが武将なんだと。


憎くて戦うのではない。とか、仁義とか、敬意を表してとか。


一般的に思われている武将のイメージとは全然違う感じです。


首を斬るのも、簡単に斬るわけではない感じです。


「御免」と言ってから斬るとか、敬意を払って斬る感じです。


それを理解出来るのが真透さん、という感じです。



ただ強ければいいというのではなく、美しさ、美学と哲学があってのことと、理解出来るのが真透さん。


美学と哲学を理解して悟っていると。



武将は皆が思っているような生ぬるいものではないと。


もっと心の奥に凄い葛藤があって・・・


誰かと友になりたくても、敵対していたらなれないとか、


心の動きがものすごくあって、繊細で・・・


それを、そこまで理解しようとする人は少なくて・・・


でも真透さんは理解してくれると、幸村さんから伝わります。


武将というものを甘く見て欲しくない、決めつけて欲しくない、心の動きまで全部、この人はこういう人なんだという印象をレッテル貼りされないように、真透さんにして貰いたいみたいです。


レッテルを貼ることは誰でも出来るという感じですが、レッテルを貼るのではなく、1人の人の人生だから正しく評価して欲しい、という感じです。


真田家は、『絶対』という意識が凄く強いみたいなんです。


親兄弟がそう言ったら、そうする、という感じです。


🔵わたしが、真田は小勢力だったので、時に豊臣、徳川、上杉といった大きな勢力と結び付いて生き残るしかなかったという話をすると、



🟢N女史


真田は、卑怯だとか、ズルいとか、レッテルを貼られているとしたら、それを解いて欲しいんだと思います。



🔵わたし


幸村さんのことを、そう思っている人はいないと思いますが、幸村さんが一時期、上杉家に人質としていたことがあり、直江兼続から薫陶を受けていたこと。

上杉家の義を重んずる精神を学んでいたと、説明をすると・・・



🟢N女史


「ちょっと待ってください・・


直江兼続・・その方のお名前が出てきたら、

幸村さんが凄く大泣きされちゃって・・


ものすごく泣いてしまわれていて、


人の道とか、人としてのあり方、考え方・・・


随分、慰めをもらったと。


一方的に責めないという感じです。


直江さんは、幸村さんを一方的に責めるようなことはせず、


生き方はそれぞれだと。


でも、絶対に忘れてはいけないものがあると。


それは互いにどんなに生き方を違えたとしても、戦ったとしても、相手への敬意だけは忘れないように。


相手を斬る場合でも、相手を辱しめるような斬り方はしないとか、そういうことを直江さんは伝えたようです。



🔵わたし「直江兼続も上杉謙信公から薫陶を受けた人物なんです」



🟢N女史


「それでなんだと思います。


直江さんて、心ある人のようで、


敵だからといって、ズタズタに切り刻むようなことは、決してしてはいけないと教わったと。


人の道とか、人の心というものを忘れて戦いに挑んではいけないと、常に常に言い聞かされたと。


すごく幸村さんが泣いていらっしゃるんですよ。



それが美学や哲学だったということのようです。


戦うとしても、敵であったとしても、敬意だけは忘れるなと。



なんで真透さんかというと、敬意があるからということです。


人に対して敬意を払って下さるから。


なので、その時の心の動きは、こういうものではなかったかとか、


さぞ苦しかっただろうなとか、


そういう、言葉では言い得ないような思いであったり、気持ちを汲んでくれるイメージなんですよね、真透さんが。


なので、なんとも言えない安らぎを感じるんだと思います。


安心感とか、安定感とか。


なぜなら、偏見で見ないから。


敬意がおありなので。


決めつけないと言いますか。


真透さんの前世の宇佐美さんのことも聞いておられるんだと思います。


「知っている」という感じです。


宇佐美さんとはお会いしたことはなかったけれど、聞いていた、知っていた、という感じなんです。


尊敬していた感じです。


宇佐美さんのことを。




🟢N女史


「幸村さんが、こうおっしゃいます。


真透さんは、お友達がいらっしゃらないんですか?」



🔵わたし「そうですね。今いないですね。」



🟢「その理由をおっしゃいます。


どうしてかというと、こういう武将の厚い友情を知ってしまうと、薄っぺらい友情は、空虚なものに感じると。


なので、熱いもので結ばれた感覚とか、そういったものを知っているものは、学校でたまたま知り合った仲といったレベルではないので、

友情を越えて、時代を超えて、共にあろうとするものだ、という感じのようです。


だから、友達が出来づらいということのようです。


そういう友情は、生きているとか、死んでしまったとか関係なく、



そういう思いは、時代も時空も超えて、ずっと残るものというイメージです。


生きるか死ぬかの領域を、時代が違っても共に味わっている者同士みたいな感じなんです。


そういう熱いものを知っている魂は、この現代で友達が作りづらいと、


それが幸村さんの見解のようです。


なので、友達がいないのは当然だと。


そのかわり、謙信公や将門公や、幸村さん達とか、そういった人が来ると。


それが理由だと。


つまり、友というより、互いに敬意を払う者同士ということのようです。


それだけ伝えたかったと、聞こえます。



幸村さんも、お友達はあまりいなかったようです。


ただ、家族はいた。という感じです。


それなので、そのことを、「人として・・」と思う必要はないということです。


時々、自分は偏屈なのかなとか、思うことがあるとしたら、それはやめたほうがいい、ということのようです。


それは、生き死にの感覚を共にした者が、敬意を払って、美学と哲学を大事にするということを、知っているか知らないかの差があるだけ、ということです。



これで伝えたいことは伝えた、という感じです。





      「高野山蓮華定院」所蔵の真田信繁像




*幸村さんの本名は、信繁なのですが、私の元に初めて来られた時に、なぜか本名の信繁に反応せずに、通称?の幸村に反応されました。


名前のことも、それ以外のことも、機会をあらためて、また詳しくお聞きしたいと思います。



後半は、上杉謙信公による、”敵に塩を送っ

た“真意や、国防についてのお話です。