芦野公園の太宰治碑建立あれこれ< 阿部合成さん>
太宰さんに関連する碑はゆかりの地にいくつもありますが、
ご紹介するのは故郷金木町の芦野公園にある太宰治碑です。
建立されたのは、太宰さんが亡くなってから17年後の1965年(昭和40年)です。私が生まれる2年前のこと。
写真は、建立を記念して出された冊子です。1065.5.3と表紙にあり、川口 と言う方の手書きのサインがあります。
冊子の中に写真で紹介されていた、太宰さんの小学校時代の恩師 川口豊三郎さんのものなのでしょう。
太宰さんの研究をされていた方がコピーをして私にくださいました。貴重な資料です。
除幕式に参加の皆様に配られたのでしょう。津軽書房発行です。
多くの方が文章を寄せています。 心にとまった言葉など少しずつご紹介します。
今日は、碑を制作した阿部合成さんの文章から。
阿部合成さんは、太宰さんと旧制青森中学時代の同級生です。
合成さんが依頼を受けたのは、突然のこと、仕事で九州に行く筈の前日だったそうです。
しかも限られた制作日数だったそうですが、「しかし・・・これは、他の凡ゆる事を放り出してもお受けし、
断じてやり遂げねばならぬ」と私は決心した。と書かれています。
「これは只の墓碑ではなく、飽くまでも明るいものでなければならない」
合成さんは、制作のために久しぶりに訪れた吹雪の芦野公園に、金色と不死鳥の飛ぶ姿を想い描いた
のだと。
碑の言葉は、彼(太宰さん)がつねに愛誦していたヴェルレエヌの「撰ばれてあることの恍惚と不安と、二つわれにあり」にする事に、
彼自身の言葉ではない事に異論もあろうが、あの詩の一節こそ、はにかみやの彼の為につくられたものといってもよく、それこそ太宰治のトレード・マークの様なものであり、云うならば「自画像」であろうという事で。
そして、合成さんは、制作中のご自分の様子を以下のように記して、文章を閉めていました。
限られた時間の中で、間断なく肉体を駆使して制作しながら、私は彼のきびしく、烈しかった生涯を肉体で感じている。
具体的にどれくらいの制作日数があったのかは記されていませんが、「考えられない程の短い日数」とありますから、
1ヶ月もなかったのかもしれません。おそらく九州への仕事を延期し、すぐに津軽、芦野公園へ足を運んだのでしょう。
旧友であり、依頼があったときに、「あの蒼白な顔に浮かぶ彼の微笑を感じた」合成さんが、
太宰さんからの直接の依頼のように思い、それに答える必死の制作だったのでしょう。
「撰ばれてあることの恍惚と不安と、二つわれにあり」
は、作品「葉」の冒頭に書かれている詩句です。太宰の最初の創作集でありながら「晩年」と
なづけた小説集の最初の作品が「葉」でした。 合成さんが書いていたように、
この一節は、太宰さんの「自画像」であり、 生涯を通して、太宰さんの脳裏にあったように思われます。
今年の太宰治生誕祭は、コロナの影響で、まだ開催されるかどうかわかりませんが、
次、この碑を目にするときには、また新たな思いでお花を捧げてきます。