太宰ファンの皆様へ。
Amebaでブログを始めよう!

「生れて、墨ませんべい」!!

ブログの始まりは、青森、津軽の芦野公園の太宰治碑建立を記念して発行された冊子に

触れたものでした。ずいぶん、日があいてしまいましたが、今日もその中から・・・

碑の制作者の阿部合成さんはもちろん、奥様 美知子さんやご友人や文人が文章を寄せています。

その中に、芥川賞作家の安岡章太郎さんの文章がありました。

金木を訪れたときに、金木の町を、「じつに意外なほどに太宰の文章とよく似ている」「全体の感じがなんとなく太宰的」

という表現が面白いと思いました。文章から受けていたイメージが、その場所に行ってまさにぴったりだった、ということなのでしょう。

それだけ、太宰が故郷、金木の町を言葉でうまく表現しているってことなのでしょうね。

安岡さんの最後の文章が更に面白かったのです。

―余計なことを気に病むようだが、碑が立っても、どうか太宰ヨーカンだの、斜陽マンジュウだのが、金木の町の土産もの屋に並んだりしませんように。

「太宰ヨーカン」「斜陽まんじゅう」はありませんが・・・

もっと驚くものが並んでいます。 

    

あわせて、こちらもお読みください。 安岡さんが何とおっしゃるか・・・それよりも、太宰さんが何とおっしゃるか。

ユーモアの好きだった太宰さんだから、「あはは・・・そりゃねえや」って笑い飛ばしてくださっていたらありがたい。

なかなか美味しいんですよ。お酒にも合いますよ。

http://yanakaan.hatenablog.com/entry/2018/07/06/073043

http://himahima1.cocolog-nifty.com/in/2016/02/post-251a.html

 

 

「彼女の背中にアナウンサーの原点を見た。」

毎日、誕生日や結婚記念日、新しい命の誕生など、嬉しいこともあれば

悲しい別れもあります。

4月23日は父の81歳の誕生日でしたが、同時に、悲しい日にもなりました。

俳優、声優で、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」のナレーターとして昨年までご活躍された久米 明さんがお亡くなりになりました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200423/k10012402441000.html

久米さんは私の特別な思い出の方です。 タイトルの「彼女の背中にアナウンサーの原点を見た」

というのは、私が大分放送のアナウンサーとしてデビューしたとき、テレビでの初鳴きのニュースが全国で放送され、

読み終えた後、スタジオから報道局へ階段を上がる私の背中にかけられた久米さんのナレーションです。

当時、TBSで放送されていた「中村敦夫の地球発19時」の「密着アナウンサー最前線」でのエンディングの映像でした。

実際、ナレーション原稿を書いたのはディレクターの青戸隆明さんなので、久米さんの言葉、と言う訳ではないのですが、

私が大分放送を退社した後も、この言葉はずっと私の背中を押してくれていました。

退社してボストンへ留学、戻ってから結婚、出産をしてからも、必ずアナウンサーとして復帰しようと思っていました。

いつも忘れないようにしていたのが「原点」です。なぜ、私はアナウンサーを職業に選んだのか。

新人時代はあまりの忙しさに、それを見失ってしまいそうなときもありました。

復帰したころに福祉施設で行なっていた対面朗読のボランティアで、改めてその原点を確認したのです。

私が喋り、朗読をするのは、そこに「人」がいるから・・・・そこに「山」があるから・・・と同じですね。

テレビでもラジオでも、常に語りかけているのは「あなた」 

常に「原点」を忘れないように大事な言葉をくださった青戸さん、久米さんは特別な存在です。

その久米さんと、思いもよらぬ出逢いがありました。

東京に住み始めて、アナウンサーに復帰する前のパートの仕事をしていた病院に、久米さんがいらしたのです。

受付にいた私はもう心臓がばくばく!「○○先生はおられるかな?」

主治医の先生の御部屋へご案内をすることになりましたが、その時の話をすることは出来ませんでした。

お住まいもすぐ近くであることがわかり、時々お見かけすることもありましたので、いつかお手紙をお渡ししたいと思っていたのです。

放送批評懇談会でラジオ番組審議委員の仕事をしていたときも、お会いする機会がありましたが、人気者の久米さんは、

多くの方に取り囲まれ、お話しすることはかないませんでした。

そして、ついにその日がやってきたのは5年前。 私の家の前のバス停に降りる久米さんを発見しました。

ゆっくりゆっくりご自宅へ向う久米さん、回り道をして、勇気を出して話しかけました。

「地球発19時」の話をすると「ああ、そうなの。それはそれは・・・今はどうしているの?」と、あのにこやかな笑顔。

朗読活動のお話をさせていただきました。その後、主治医の先生のお話にもなり、先生の趣味である絵画展が、

「近くのギャラリーで年に1回はありますよ」

とお話をしましたら、その時はぜひ教えてほしい、と、ご住所まで教えてくださいました。

その後、何度か道端でお会いして、短い挨拶を交わすこともありました。テレビからお声が聞けなくなり

心配していましたら・・・・訃報の知らせ。 

でも、ずっと久米さんの声は耳に残っているので、これからもずっとその言葉が私の原点となります。

ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

青戸隆明さんはどうされているのだろう・・・・急にお会いしたくなりました。青戸さんにも感謝です。

 

4月24日の禅林寺の風と空

今日は、太宰治のご長女、園子さんのご葬儀。

ご家族葬とのことでしたので、せめてお別れに・・・・と、まだお墓にいらっしゃるわけではありませんが、禅林寺へ行ってきました。

 

お墓で、太宰さん、美知子さん、直接、面識はありませんでしたが、佑子さんへご挨拶。

いつもどなたかが御参りしていらっしゃるのでお花がたえることはありません。

今日もきれいなお花と、まだ新しいと思える火の消されたお線香。

お掃除をしてお花を足して・・・

ふっと風がそよぎました。とても爽やかな・・・・

帰り際に、お寺の門の手前にある大きな木も風にそよがれて、枯れた葉っぱがはらはらと舞いました。 

故人を送る木魚のひびきが、心地よいリズムを刻んで、音楽が好きだった園子さんが、生前私に下さったお言葉が重なって、涙が出ました。

 

「原様には、これからも太宰文学に真摯な態度で取り組まれ、朗読を通して、多くの方々に、太宰治の人と文学が正しく、深く理解されますよう、ますますのご活躍をお祈りしております。」 「はい、そのように努めてまいります。見守ってください。」

 

園子さん、さようなら。また禅林寺にくればいつでもお会いできます。安らかにお眠りください。  合掌。