みなさま、こんばんは!

 

先ほど、仙台に戻ってきました。

生暖かな東京とは異なり、雪がちらつく静かな別世界。

 

やはり東北の冬には寒さがよくマッチします雪の結晶

 

 

 

それにしても最近特に思うのは、中国の古典もそうですが、古代人の心を現代人は知らないまま知識で翻訳しているんじゃないか、ということ。

 

もう、いっそのこと古代人に憑依(ひょうい)するくらいのつもりで、どんな気持ちでその書を記したのか、感じてみるのが一番いいと思うのです。

 

試しに、『老子』のこんな一文を老子になりきって訳してみました。

 

 

我有三寶、持而保之。

一曰慈、二曰儉、三曰不敢爲天下先。

慈故能勇、儉故能廣、不敢爲天下先、故能成器長。

ーー『老子』第六十七章

 

 

私には大切にしている3つの事柄があってねえ、それをただそうしているというだけではなく、常にそう心がけているんだ。

一つ目が愛しむということ。どちらも大事にするいうことだね。自分も他者も分け隔てなくというのが本当の「慈」なのだと思う。

二つ目は生活も物事の考え方ややり方を簡単にすること。

三つ目は、正義感を振りかざして、わざわざでしゃばることをしない。

自分と他者に対する思いに差異がないから、おそれがない。

物事を簡単に考えているから制限がない。

でしゃばって出る釘が打たれるというようなこともないので、息の長い成長ができるというわけだ。

 

 

どうでしょうか?

 

道徳的に説教くさかったり、学問的に硬い表現でもなく、割としっくり、すっと気持ちが感じられる気がしませんか?

 

 

明日気が変わらなかったら、また「老子の気持ちになってみるシリーズ」やりたいと思います。

 

 

それではみなさま、また明日!