みなさま、こんばんは!

 

今日は、めちゃめちゃ久々に『韓非子(かんぴし)』が読みたくなりました。

 

 

『韓非子』はよく、「人間不信の哲学」などと言われます。

ざっくりいうと、人は信用できないけれども、法律は裏切らない、だから法によって国を治めましょう、ということ。

 

さっそく、本文を見てみましょう。

 

 

人主之患在於信人、信人則制於人。

ーー『韓非子』備内第十七

 

人の上に立つ者の悲劇は、人を信頼することにある。

人を信頼するということは、つまりその相手に制約されるということだ。

 

 

つまり、「人を信じすぎるな」、ということですよね。

 

それって、日本人的には「なんだか冷たい」「ドライすぎる」と感じるかもしれません。

「相手のこと100%信頼してあげるべき!」なんて言葉も聞こえてきそうです。

 

 

でも、チャイニーズカルチャーの中に20年近く過ごした私からいうと、100%誰かから信頼されるというのも重荷なんです。

なんというか、相手の期待を一身に背負ってるみたいだし、相手からは「期待に応えるという見返り」を求められているように感じるんですよね。

 

信じた方も、100%信じてたのに期待外れだった、なんてことになると落差が激しく、ダメージが大きいですよね。

それを韓非子は、「人を過度に信頼すると、その相手によって痛手を被ることがある」と言っているわけです。

 

「まあ、そこそこ信じてるけど、適当に疑っておくよ。君のためにも、自分のためにもね」くらいの方がお互いの精神衛生上、健康なんじゃないかと思います。

 

 

『論語』のような仁や礼による人間関係のつながりには、信頼が不可欠ですが、この『韓非子』ではそれを牽制しているのです。

 

私は、『韓非子』のようなあり方も一つの「愛」だと思います。

 

 

 

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今日も頑張りました。

 

みなさまも、懸命に生きた1日であったことと思います。

 

そろそろ夜も更けていきます。

 

おやすみなさいキラキラ