おはようございます。

 

いやあ、熱帯夜が続いていますね。

みなさま、今朝の体調やご気分はいかがでしょうか?

 

 

さて、今日のお題は、「時々思い出すこと」。

なんだか長年心の引っかかっていて、時々思い出しては、そこはかとない(あるいは強い)痛みを感じるようなことってありますか?

 

 

 

私は、母が退院した日のことを時々思い出します。

 

 

母は、数年前に未破裂脳動脈瘤の手術を2回受けています。

開頭して行う大掛かりなものですが、母の場合離れた場所に3つあったため、2年かけて2回の手術で取ることになりました。

 

70歳を超えてからのものだったので、家族の方もヒヤヒヤでした。

 

 

手術自体も侵襲が大きく、術後数日間は脱力感が激しく、ほとんど食べられなくて、本当にかわいそうで・・・。

少し意識障害もあって、朝の回診で教授から何歳ですか?と聞かれ、本当は74歳なのに「47歳です!」と自信たっぷりに答えた時には、

もう生きた心地がしませんでした。

 

 

そして、やっと迎えた退院日。

父、妹と迎えに行き、「何が食べたい」と聞いたところ、母は

 

「じゃんがらラーメン!」

 

と答えました。

 

 

当時、上野駅にあったラーメン屋さんです。

 

入院すると好きなものも食べられないし、病院食は味気ないから、きっと楽しみにしていたんでしょうね。

 

それなのに私たち、みんなその後の用事があったりして、母が食べたいものとは違うところで食事することになったのです。

 

そうしたら食事中に母は不機嫌になって泣き出し、

 

「じゃんがらラーメン!って言ったのに!」っていうんですよ。

 

 

その後の用事なんか本当はどうでもよくて、ちゃんと母の好きなものを食べさせてあげればよかったといまだに後悔します。

 

 

神業的手術のお陰様で、母は今でも元気です。

 

時々、「じゃんがらラーメン事件、あったよね」というと、母はもう忘れてしまったみたいで「そうだっけ?」と言います。

 

だから尚更、自分自身を責めてしまいます。

 

本来なら母に、「もう、あの時ラーメン食べたかったのに、みんなひどかった!!」とか言ってほしいなあと。

 

 

そんな今日の古典は『論語』から。

 

 

子路問君子。

子曰、脩己以敬。

曰、如斯而已乎。

曰、脩己以安人。

曰、如斯而已乎。

曰、脩己以安百姓。

脩己以安百姓、堯舜其猶病諸。

 

ーー『論語』憲問第十四

 

弟子の子路(しろ)が人としての道をききました。

孔子先生:細心の注意をはらって自分を高めることだよ。

子路:それだけでいいですか。

孔子先生:自分の身を修めて利他に生き、人を安んずるのだ。

子路:それだけでいいですか。

孔子先生:おのれを磨き、高め、天下万民を安んずるのだよ。天下万民を安んずるのには、堯(ギョウ)・舜(シュン)のような賢帝、聖人でもさぞ心を悩まされたことだろうね。

 

 

もっと自分に仁徳が身につくように、これからもちょっとずつ論語や中国の古典を読み進めていきたいと思います。

 

ご興味があれば、ぜひご一緒くださいね。