おはようございます。

 

今日は真面目に中国古典の勉強です。

 

 

久々に『荘子』からです。

 

心如湧泉、意如飄風

ーー『荘子』盗跖篇

 

思いは泉のように尽きることがなく、行動は疾風のように迅速にかけめぐる。

 

 

今朝は朝から『荘子』が読みたくなり、盗跖篇を読んでいます。

 

孔子が友人である柳下季(りゅう・かき)の弟で大泥棒の盗跖(とうせき)のことを気にかけ、悪事をおこなわないよう説教しにいくところから話が始まります。

 

柳下季は孔子に、やめておけ、弟はこんな人間だよ、と説明するのですが、その最初に出てくるのが

 

”思いは泉のように尽きることがなく、行動は疾風のように迅速にかけめぐる”

 

という表現です。

 

ちょっと想像すると、躁うつ病の躁状態みたいな気もしますね。

 

 

 

この後にも語句は続きますが、どうやらこの盗跖、単なる乱暴者、狼藉者というのではなく、なかなかの人物ではなかったかと想像します。

 

 

いつも思うのですが、中国の古典の世界は難解で歯応えがあり、読みながら内容を味わえるようになるためには歴史や文化を学ぶ必要があるし、荘子の内容を理解するためには論語を読んで孔子の人となりも知っている必要があります。

 

 

中国古典こそ、知への「尽きせぬ泉=湧泉」なのだと思います。

 

足の裏には、湧泉というツボもありますよね。

 

 

今日はこれから地検で精神鑑定の仕事です。