おはようございます。

 

最近、『論語』の良さを再発見しています。

人間はどんな環境のどんな時代にあっても、透き通るような純粋さを生きることができる。

そこに心を打たれるのだと思います。

 

今朝、素敵だなあと思ったのは、この一文。

 

子在川上曰、逝者如斯夫。不舎昼夜。

 

ー『論語』子罕第九篇

 

先生は川のほとりに立って言われた。

ほらみてごらん。時の流れとはまさにこのようなものなのだよ。

昼も夜も絶えることがない。

 

 

 

この文ね、読んでいたらわかったんです。

時間は未来から流れてきていると。

 

いつからか・・・

おそらくは大人の考え方に自分を矯正してからでしょう。「過去という時間を積み上げて今がある」感覚で生きていました。

 

でも、川の流れっていつでも上流から新鮮な水が下流に向かって流れてくるわけですよね。

 

これって頭で考えるとわからないですが、自分が孔子の弟子になったつもりで川辺でまんまを感じてみると腑に落ちると思います!

 

 

その場所で川の流れを感じている自分は、「今、ここ」そのものであり、本当は今を生きるしかないし、それでいいんですね。

 

みなさま一人ひとりの「いま」を川の流れを感じるように味わってみてくださいね。