おはようございます。
春分で空気がガラッと変わりましたね。
年度末の慌ただしさも手伝って、私の心の中はいささかやかましくなってきました。
そんな時は『荘子』。
天の時間の流れにゆっくりも早いもなく、刻む必要もないんだな、と思いださせてくれます。
何謂无始而非卒。
仲尼曰、化其萬物、而不知其禪者、焉知其所終、焉知其所始。正而待之而已耳。
『荘子』山木 第二十篇
この段は、仲尼(孔子)とその弟子たちが陳と蔡の国の間で命をねらわれ、水も食糧もない山中に追い詰められていたというエピソードを題材に書かれています。
師匠が絶望的な状況に陥っていることに同情し、一番弟子の顔回が心を痛めているのをみた孔子。
そこでいくつかの話をした、という設定になっています。
顔回:始まったものは必ず終わる、というのはどういう意味でしょうか
孔子:大いなる「何か」によって万物は転化しているが、それがどのようなものであるのか、主宰者が誰なのかはわからない。また転化の先にあるものや、万物が生まれる以前のことなどは知る由もない。ただ自分のあるべきあり方を保ち、物事の転化の行末を見守ることだけなんだろうね。
今日1日は刻まない時間の流れを意識してみたいと思います