今日は、私が中国哲学に興味を持ったきっかけについて書いてみたいと思います。

 

読者の方から質問されて、自分自身でもそれがどんなきっかけだったのかはっきり覚えていないことに気がつきました。

 

そのくらい自分の中では呼吸するくらいに自然になってしまっていたということでもありますが、今日はしみじみ〜と振り返ってみることにしましたニコ

 

 

 

ストーリー的には、おそらくこんな流れだったと思います。

 

小学校3、4年生くらいの時、NHK特集「シルクロード」(絲綢之路)をみたのがおそらく一番最初のカウンターパンチだったはず驚き

 

喜多郎のテーマ曲を聴いていると、チリン、チリリン、カラランと鈴を鳴らしながらゆっくりと進むラクダをひく私、天山回廊のはるか向こう、長安の都に想いを馳せる自分の姿が鮮明に浮かんできます。

 

 

次に右ジョブからのストレートでまたまたガツンとやられてしまったのが、NHK人形劇「三国志」

 

こちらは細野晴臣さんのメインテーマで、真の覇者を夢見て中華の大地に馬を走らせる自分自身が浮かんで来ちゃいます馬

 

その後は、もうド変態なのですが、教科書で「遣隋使」や「遣唐使」の文字を見るとなぜかうるうるきてしまっていました。魂が揺さぶられてしまうというかえーん

その後も、国立博物館で「大遣唐使展」をやっていると期間中は何度も通っていました。

もう、入り口でうるうるきてしまって涙を流していたので、周囲の人は「この人、ちょっとあたまに問題アリ」と思っていたかもしれませんガーンウシシ

 

 

もともと西洋のものには興味がなくて、中華的な要素に心惹かれるものがあった私。

中学に入り同級生たちが洋楽にハマったりしているのを横目に、「西洋かぶれの奴らめ!これからの時代は東洋だ!」と苦々しく思っている自分を発見。

当時、私の中で「東洋」というのは、「古代中国」。そこからはもう中華への道、まっしぐら!でした流れ星

 

 

 

中国語に最初に接したのは中学1年生のとき。

帰国子女向けに、放課後第二外国語のクラスが開かれていたのですが、アンチ西洋だった私は興味本意で中国語のクラスに出てみました。

 

しかし!

 

 

全部漢字だし、発音が難しすぎて頭がフリーズ。

第2外国語どころか、英語もゼロの私。

当時のインテリジェンスでは無理と判断し、断念。

 

 

でも不思議だったのは、「自分はいつか中国語を勉強して話すようになる」予感があったこと。

こういう感覚は理屈ではなく、もう魂レベルでの「自分との契約」というふうにしか説明ができないです。

 

 

中国哲学に入っていったのは、14歳、中学2年生のとき。

強烈な何かがあったわけではなく、静かに導かれていった感覚だったように思います。

三国志を読み始めていましたが、物語の中心概念である「義」によるつながり、沸(たぎ)るような生命力が今の日本にはない気がして、強く憧れたのがきっかけ。

 

この辺が、中国の歴史から中国哲学への興味へとスイッチしていった転機だったと思います。

 

 

 

こうやって思い出してみると、仕組まれていた、というか、生まれる前からちゃんと計画していたんだな、と思わざるを得ません。

 

 

自分の人生という「DNA」の二本鎖のそれぞれが、生まれた時はあっちとこっちを向いていたのが、駒を進めるうちに、知らず知らず縄があざなわれていくようにわたしを作っていったのです星空

 

中国哲学につながっていった私が、今度は医学の道を志すことになり、気がついたら精神科医になっていたというのが一つの鎖。

 

そして憧れだった中国・北京に留学し、中国哲学の研究を「中国医学」という串を刺して行うことを決めたとき、尚武精神が日本の精神性の核になっていることに気づき、そこから兵法と精神医学のつながりを研究する道へと発展していったのがもう一つの鎖。

 

 

中国哲学では、大宇宙の気が必要として、一人一人が存在していると考えます。

私が思うに、大宇宙からの呼びかけによって、「自分」というキャラクターを体験したくて集まった無数の気の集まりが「自分」です。

 

 

みなさまもぜひご自身のミステリーをひもといてみてくださいね!宝石赤キラキラ