昨日の続きを書いていきます。
海外を意識しつつ、古代中国を夢見ていた私は高校生のときに人生最大の転機を2つ迎えます。
ひとつは、文系を考えていた私があることをきっかけに理系に180度進路を変えたことです。
きっかけというのは、高校1年生のときに大怪我をして、医師という職業に興味をもったこと。その当時、ちょうどNHKで女医が主人公の大河ドラマ『いのち』をみていて、「東京女子医専(現在の東京女子医大)」に憧れたこと。
世界でたったひとつの、女子のための医学校。
ドラマを見ればみるほど「この学校しかない!」と思うようになりました。ちなみに、「東京女子医科大学」よりも、「東京女子医専(とうきょうじょしいせん)」という響きにトキメキを感じます。
ふたつめは、高校2年生の時に台湾に研修旅行に行ったこと。
「なんとなく旅行するのではなく、目的をもって研修を行う」という学校の方針で、修学旅行ではなく、研修旅行という呼び方をしていました。
この台湾への研修旅行は、私にとって初めての海外となりました。
そしてこの研修旅行は、振り返ってみると私の半生の中で一番のメインイベントだったかもしれません。
圧巻は、姉妹校の淡江高級中学と文化交流でした。
まず、台湾で育った帰国子女の同級生が流暢な中国語でスピーチしました。
そのスピーチの序盤、同級生が「大家好!(みなさん、こんにちは!)」と挨拶すると、淡江高級中学の全校生徒がまばゆいばかりの笑顔で、ホールに鳴りひびかんばかりに「好(ハオ!)=こんにちは!」と返してくれたのです。
これは、もう本当に大変なショックでした。
日本だったら、きっとみんな下をむき、遠慮がちにしか返事をしないでしょう。
さらに衝撃だったのが、校歌斉唱でした。
両校の校歌を互いに歌いあうという趣旨でしたが、あんなに明るく、生命力のあふれる感動的な校歌を聞いたのは生まれてはじめてでした。
自分たちの学校の校歌なのに、魂をこめて歌っていなかった自分が恥ずかしかったです。
国歌もそうでした。
以前の台湾では、映画館や劇場など公共の場所で中華民國の国歌が流れてくるとみんな一同起立して丁寧に歌っていました。
そんな姿が本当にまぶしく見えました。
日本では、学校などで国歌や校歌を歌う時、みんな投げやりにめんどくさそうに歌うのに、台湾ではなにゆえ国歌や校歌がかようにも誇り高く、生気あふれるものになるのか。
人間として純粋かつ健康な輝きを放っている彼らを心の底からうらやましいと思いました。
そんなまっとうな心を持つひとびとの中で生活してみたいとふと思ったのです。
東京女子医専にあこがれつつも、台湾という生命力に大きくひきつけられた私。
そして古代中国、まばゆいばかりの中華文明、その精華である中国哲学が私の中で再び大きくクローズアップされ、やはり私は国立台湾大学中国哲学系をめざすのだ!という思いがむくむくと湧いてきたのです。
ところが、この決意を両親に伝えると、信じられないくらいの猛反対を受けたのです。
母は「一度医学部って決めたのに進路変更するなんて考えられない」と怒って2週間お弁当を作ってくれませんでした。
ある晩、見かねた父が「進路についてもう一度よく話してみないか?」と切り出してくれ、腹を割って父と2人で話をしたのです。
父は、「中国哲学に憧れるのも、研修旅行をきっかけに台湾にひかれるのも理解できる。けど、医学部に行くっていうのはもういいのかい?」と切り出しました。
私は、「医学部にいくって決めたのは、古代中国のいろいろが好きだと気付いたずっと後で、今回の台湾がきっかけで自分にとって中国思想がどんなに大切か思い出しただけだから」と答えました。
すると父はしばらく静かに考えて、「お父さんだと何を言っても反発するだろうから、校長先生に相談してから決めたらどうだろう」と提案してくれました。
校長先生?!・・・
いや、校長先生に相談するのもアリだな!
というわけで、校長の話の長いことで有名な朝礼の後、校長室に突撃することに決めたのでした(笑)。
<医師が海外で学び、働き、生活するということ(3)に続く>