みなさま、こんにちは!

 

たたみかけるようで恐縮ですが、外は真っ暗なので、あらためまして

 

こんばんは!

 

 

たった今気がついたのですが、今日は満月なんですね。

宮城上空は少し雲が多めですが、今年初の満月見られるかしら・・・

 

 

さて、今日のお題は「医師が海外で学び、働き、生活するということ」の1回目です。

 

 

私は医師になり6年ほど日本で臨床経験を積んだあと、30歳で中国・北京へ渡り、8年半の留学生活を送りました。その間、北京語言大学、北京中医薬大学国際学院、同大学大学院修士課程、博士課程と進んで、中国医学で博士号を取得しました。

 

その後、マレーシア、シンガポール、上海とめぐりめぐって、トータル20年の海外生活を経験しました。

 

 

そういった経歴もあって、医学生や医師も含め、若い世代から時折相談を受けることがあります。

 

とはいえ、あらかじめおことわりしておきますが、私自身の経歴ユニークすぎ!!(というか、ぶっちゃけ激レア<笑>)。

 

しかも中国&中華文化圏がメインコンテンツなため、一般的なキャリア構築を考える上での進路相談となると、ほとんど参考にはならないと考えています。

 

しかしながら、それでも私があえて「海外留学とは?」」についてお伝えをしなければいけない場面にたびたび遭遇します。

 

というのも、とくに医学生や医師の場合、周囲に海外経験のある先輩や指導者が少ないこともあって、「一般的に医師が海外を目指す上での心得」的なところからを話せる人がほとんどいないという現状があるからです。

 

 

とはいえ、中には、ぼんやりとした「海外への憧れ」から便利で気軽な無料相談よろしく連絡してこられるケースもあったりします。詳しくお話を伺っても、「純粋に海外生活を経験してみたい」というところで止まってしまうのです。

 

若さゆえなのか隠れた現状否認や逃避願望があり、肝心の「なぜ海外なのか?」はもちろん、それ以前に「海外って、具体的にどこの国?」ということもまったく決まっておらず、なんと私に「どこで何をしたらいいでしょう?」と丸投げされることもあります。

 

そこで今回は、ちょっと厳しめな目線かもしれませんが、将来の進路にまよっている若い世代の方に向け、記事としてまとめることにしました。

 

 

 

まず、私が年をとったのか時代が変わったのか、それとも単純に新型コロナ感染症の影響で渡航できなくなっただけだからなのか、日本全体で国際感覚が薄くなっている印象があります。

 

私が若いころは外国での語学研修やワーキングホリデーなどの全盛期で、短期間であっても海外経験のある人があちこちにいました。

 

東京女子医大精神科での研修医時代も、指導医のほとんどがドイツ、フランス、イギリスなどへ留学して精神医学のさまざまな領域を研究してこられた先生でした。

 

最近は医師に限らず、若い世代で留学や海外生活に興味をもつ人が少なくなった印象があります。

インターネットが普及して、世界中のいろいろな情報がすぐに手に入るようになり、珍しさや憧れが薄れたということもあるのかもしれません。

 

 

ところで先ほどもふれましたが、私自身は、「海外」を目指していたわけではありません。

 

プロフィールやブログ内の記事でも触れているように、幼少時から古代中国マニアであり、中国を目指して人生設計をしていて、「予定通り中国へ留学」し、その流れの先にたまたまマレーシアやシンガポールがあって、最終滞在先が上海だった、という半生なのです。

 

そして、中国でもっともやりたかったことは漢方の勉強ではありません。

「中国哲学」です。

 

 

この辺で、なぜ「中国哲学」を目指すことになったのか、なぜ医師になりつつ中国への情熱を持ち続けてこれたのか、原点にたちかってみることにしました。

 

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高校2年生のときにはすでに中国行きの意思はかたまっていたのですが、自分の好奇心や興味関心の志向性や人格形成に大きな影響を及ぼしたのはなんといっても中学・高校時代の学校教育です。

 

茨城のごく普通の小学校を卒業した私は、帰国子女を多く受け入れる私立の中高一貫校に進学。

 

同級生たちは中学1年生だというのに、英語はもちろん、フランス語や中国語、韓国語など第2外国語まで操る姿に衝撃を受け、入学第1日目で自信喪失。

 

田舎者の私が「海外」の洗礼を受けた瞬間でした。

 

 

ショック療法が早かったことと(笑)、学校の方針で漢字や現代文だけでなく古文、漢文など国語を大変重視した教育を受けられたこと、勉強は受験のためにするのではなく、大学を卒業してから社会にでてからが本当の勉強だ、と教えられたことが自分の進路や人生設計をする上で軸になっています。

 

高校1、2年生で留学する同級生や先輩も少なからずいたので、私も「中国じゃなくて、アメリカとかイギリスに行って英語も勉強したいな」と憧れた時期もありました。

 

その時は両親や先生方に、「英語を勉強するために留学するのではなく、英語は道具であって、その先に何を学びたいのか、将来何をやりたいのかをまず明確にすべきだ」と諭され、「どこに留学するかはともかく、今の時期じゃないな」と感じたわけです。

 

実際、留学していった同級生や先輩たちはみな一様に英語力が高い人たちでした。

 

 

 

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