みなさま、こんばんは!

年末年始をどのようにお過ごしでしょうか?

 

私の年末年始、最大の楽しみは読書。

日頃気になっていた本をかたっぱしから“同時並行読み”をしていました。

 

 

私はなぜか年末になると吉田松蔭が気になって、『講孟箚記(こうもうさつき)』や『留魂録』が読みたくなるという不思議なバイオリズムがあります。

 

吉田松蔭といえば幕末の志士の一人ですが、どんな背景をもった人だったかというと、実は「兵法家」です。

江戸時代までは兵法なくして武家社会は成立しませんでしたし、明治以降も軍人たちにとって兵術や兵法書は必須でした。

 

現代に至っても、企業家など経営にたずさわるリーダーが人生訓や処世術として兵法書を学ぶことは暗黙の常識ですし、欧米のビジネススクールで『孫子』について解説することもめずらしくない時代になりました。

 

私は高校生のときからなぜか兵法書が好きで、『孫子』、『呉子』、『六韜(りくとう)』など、内容を吟味して学ぶというより、もうその本を手にとって、兵法書の醸している独特の緊張感にウハウハしていました。

 

兵とか武といったことに関して、漢文で書いてあるのがヤバいくらいに萌えるんです!

 

 

よくよく考えるとド変態ですが、でもそれが私が一番好きな世界観です。

 

「漢文系女子兵法部」とか作ったら、お仲間が集まるかしら・・・(笑)。

 

 

 

 

さて、本題に入ります。

 

兵法というと、

 

「兵とは詭道(きどう)なり-『孫子 一 計篇』」

 

とあり、兵法とは策を弄して敵を欺くことだ、というような解釈がなされています。

 

これに対しては日本の武士道精神に反するというような見方が大半です。それなのに、誠実さが商売の基本なはずのビジネスの世界で孫子がもてはやされるのが私個人としてはやや不可解ではあります。

 

私自身はこの条文を別の観点からもとらえています。

 

古代中国では、通假字(つうかじ)という用法があり、音が同じ漢字を転用して使う方法です。

 

「詭・キ」は中国語の発音はgui(グウェイ・第3声)となりますが、これと同じ発音のものに「鬼」や「軌」があります。

 

古代中国語というのは、句読点もありませんから、どこで区切るか、またどの漢字をあてて解釈するのかなど、読み手の意図にまかされているところがあるのです。

 

もしも「鬼」をあてると、「兵とは鬼道なり」ということになり、神出鬼没で予測のつかない奇抜な方法という意味になります。

 

また同じ文字で別の解釈もできます。

孫子の成立した時代背景からは、儒教的世界観ではないものを「鬼道」と称したとも考えられ、「人徳や儀礼を至上のものと考えない」やり方をさしていると思います。

 

確かに国同士の戦争ともなれば、人道主義や外交的儀礼など、キレイごとを優先している場合ではないですよね。

 

また、さきほどの「詭道」という字をあてても、もうひとつの解釈ができます。

 

「道タオ」の思想を説く老子も孫子とほぼ同時代の人物ですが、「道」とは自然界万物の動力となる宇宙の根本的法則性のことです。「詭」とは、「偽」の意味であり、「人為的」という解釈ができます。つまり、戦争とは無為自然のたまものではなく、人の意思によって起こすものである、というような遠大な世界観をあらわすものともなります。

 

 

さらに、「軌道」と考えることも間違いではないと思います。

「兵とは軌道である」=兵の動かし方というものにも規則性、やり方というものがあるのだ、という意味になり、これから論じる兵法にはそれなりの理論があるのだ、と孫子が冒頭で述べていることになり、これも整合性があります。

 

このように、古代中国語には正解・不正解はなく、読み手側の自由かつ柔軟な解釈が許されているほか、ひとつの文にいくつもの含みや伏線が隠されている一種の暗号のような要素があると私は考えています。ひと昔前の映画に『ダヴィンチ・コード』というのがありましたが、『孫子』はさしずめ、作者の名をとって「孫武コード」とでも言えるのかもしれません。

 

 

前置きが大変長くなってしまいましたが、『孫子』の中でもうひとつ有名なものとして、

 

「彼を知り己を知れば百戦危うからず -『孫子 三 謀攻篇』」

 

がありますが、これはそのまま精神科の治療にも活かせると考えます。

 

つまり、彼というのは、もしも国同士であれば敵国ということになりますし、対人関係であれば「相手(もしくは敵)」ということです。それを病気やその症状と捉えれば、症状の性質を知ると同時に自分自身のこともよく理解する必要があり、どちらもできたら戦いに勝てる=病気は治ると解釈するわけです。

 

 

実際、精神科の診療をおこなっていると、患者さんたちは不安感や気分の落ち込み、眠れないなどの様々な症状でお困りになって受診されます。

 

患者さんの多くは、不安や落ち込みがなくなり、眠れるようになればそれでいい、と考えがちです。しかし兵法的にいうならば、症状の性質や原因についてつきつめると同時に、それらの症状をもっている自分自身についても理解を深めることで治癒への道がひらける、ということになると思います。

 

 

<『メンタルの強さとは〜兵法の観点から精神医学を考える 2』に続く>