さて、私が中国に留学した一番の目的は漢方をマスターすることではなく、あこがれの古代中国思想の世界に浸りたい、ということでした。

 

戦前まで日本で読みつがれ学びつがれてきた中国古典の世界に、自分自身がどっぷりとつかること。それが一番やりたかったことです。

 

現代中国と古代中国は別物だから、今中国にいっても古代中国の世界には出会えないよ、と周囲からは言われましたが、私としては「漢文」として扱われている中国古典の書き下し文を日本語で読むのではなく、書き下さずに漢字のまま丸ごと感じ取り、読み込んでいく作業を中国大陸でやってみたかったのです。

 

その上で戦後日本人が失ってしまったのであろう「人としてどう生きるか」の指針を自分なりに見つけ出し、無価値観や自信欠乏を抱えて幸福感を謳歌できない日本の人々に「生きている」ことの喜びを伝えたい、ということでした。

 

どんな人、どんな境遇にあったとしても一人一人がかけがえのない存在であり、その存在こそが光であり宝だ、と日本人ひとりひとりが感じられる幸福な社会を作りたい、とずっと考えていました。それは今も変わっていません。私のミッションとして心に銘じています。

 

 

 

もしかすると、幸福な社会を作りたいだなんて医者の仕事ではなく、政治家や官僚の仕事じゃないか?と思われるかもしれません。

 

でも私は思います。社会という「人の住まう器」や「仕組み」を誰かが他者のためにお膳立てのように作ったとしても、人は必ずしも幸福感を感じることはできないのではないか、と。

 

私は20年にわたって中国、マレーシア、シンガポールで留学、仕事、生活を送ってきたことから、日本という社会をずっと外側からみてきました。日本のように経済的にも物質的にも平均的に恵まれた環境の国であるにもかかわらず、幸福度の低い国というのも珍しいと思います。

 

日本は格差社会だと言われますが、諸外国に比べたら多少の差はあっても誤差範囲くらいで、全国民がちゃんと生活できるように機能している国だと思います。私はそれも豊かさの象徴だと思いますし、それを国民一人一人がもっと「すごいことだ!」と味わってもいいのではないかと思います。

 

むしろ日本の最大の問題は、社会全体が物質的に豊かになればなるほど、個々の人々の欠乏感や不足感、閉塞感や不公平感がどんどん大きくなっていることだと思います。

 

 

では、どうすればいいのか?

 

まず、自分から幸福感を感じて生きる。私自身が「社会の一員として幸福に生きる」という行動を始めることで、それは社会にも連鎖していくと考えたのです。池に投げかけられた小石が波紋を作るように、です。

 

 

中国には、「从我做起=自分から始める」という言葉があります。

15億分の1のちっぽけな自分だからと自分を過小評価せずに、社会を構成する一部分として、自分が信じることを行動し示していくということです。

 

 

これまでは、私のミッションを医師として勤務する病院で静かに実践してきましたが、これからは1:1の対面で行うだけでなく、文章としてまとめて多くの人にお伝えしていくべきだと強く感じるようになりました。

 

「从我做起=自分から始める」の次の段階は、黙々と続けること。
そんな思いで、今年1年毎日このブログを更新していこうと決意したところです。