新しい1年の幕開けです。

私もようやくセルフ岩戸開きをして、自己開示する覚悟ができたようです。

 

無期限休止状態のセルフケアブランド「6elements」や「東洋癒塾」をどうするのかは一旦さておき・・・

 

自分の中で長年スタックしたままびくともしないテーマについて、まずは正面から取り組んでいかないと先に進めないと思いあたったわけです。

 

以下、私の心の内部調整のために書き進んでいきます。


 

小さい頃から古代中国思想に憧れていた私は14歳から中国を意識し、医学部に進む前から中国留学を考えていました。

 

医学部在学中には留学に向けて中国語の勉強をはじめました。夏休みを利用して母校東京女子医大附属東洋医学研究所で漢方も学んでいました。

 

現在の研修医制度とは違い、ほとんどが直接自分の選んだ専門科に入局し、そこで研修を受ける方式でしたので、医学部を卒業する前には、西洋医学的専門を決めなくてはなりませんでした。

 

精神科を選んだのは自分の目指す道に一番近いと感じたからです。

 

そのような中、私が中国に留学したいと話すと「精神科って漢方が効かないんじゃないですか?」「中国に留学して漢方を勉強しても精神科だとあまり使う機会がないのではないですか?」「漢方やるなら婦人科とか消化器内科じゃないですか?」とよく質問されました。

 

私が中国に留学したのは漢方が主目的ではなかったのですが(それに関してはまた別途まとめてみたいと思います)、仮に漢方を勉強するために中国に渡ったのだとしても、質問自体が予定調和的であり、“「精神科」が十分条件であって「漢方」が必要条件である”私に対して、周囲の認識は私とは正反対だったのです。つまり“「精神科」が必要条件で「漢方」が十分条件”として捉えていたのだと思います。要するに、西洋医学の領域区分が絶対であって、漢方というのは補完的な付加価値にすぎないという認識だったわけです。

 

 

いずれにしても、これが私の長い葛藤のはじまりでした。
それだけでなく、私が20年経って日本に帰ってきたらさらに食い違いは大きくなってしまっていたのです。


というのも、20年前と比べると漢方はマスコミや関連企業の宣伝活動の影響で市民権を得てすっかり主役級の扱いになっていたから。

便秘やダイエット、はては認知症から疫病の治療まで、「◯◯症には△△湯」のように普遍化大衆化しながら広まった漢方のイメージは、すでに集合意識層で不可逆的なまでに定着しているように思えてなりませんでした。

 

私としてはもう絶望的な気持ちになってしまい、「私の考える漢方の役割」とか「本来漢方とか東洋医学って中国から伝わってきたもので、もともとの漢方って病気直しのための薬じゃなかったんだよ」とか「漢方って心と体を分けて考えないから、精神科というカテゴリーがないんだよ」などということについて、伝えたい情熱をかかえつつも、みなさまと一から膝をつきあわせて「じっくりお話させてください」という手順というか試みをあきらめてしまったのです。

 

けれども、やっと、「面倒くさがって発信するのを放棄している場合じゃないな」と思い当たり(思い当たってはいたけれど直面するのを避けていました)、自分のこころの中で混線している思いのもつれをほどきながら伝えることで自分自身を癒していくのだ、とやっと決心を固めたのでした。

 

 

 

ここまで読んでくださって、どうもありがとうございます。

 

こうやって書いて伝えていくことで、ドン・キホーテみたいに集合意識に戦いを挑み続けている自分をようやく卒業できそうです。