こんばんは★久しぶりにこちらのブログを更新です★
それにしても最近暑い・・・暑いのに雨なんて降ってるものだから、、、むわっとして気持ちが悪い、
早くカラッと晴れて欲しいです。
今日は言葉について思ったことを書きたいと思います。
ちなみに、上のイラストは手塚治虫さんの火の鳥をもじったイラストです。
火の鳥、これが私は大好きなんです。
風の谷のナウシカの原作漫画、火の鳥、この2つを超える漫画など今まで見たことがありません。
特に、火の鳥の我王が出てくる鳳凰編がとても好きです。

ちょっとイラストに織物加工を入れてみました。
「言葉は暴力にもなるから気を付けて使ってください。」
なんてことを、小学生の頃嫌と言うほど学校の先生に言われました。
私が通っていた小学校は、馬鹿と言う言葉を使わない運動なんてものをやっておりまして・・・
どんなことでも馬鹿という言葉を出すと、帰りの会でつるしあげを食らっておりました・・・
もちろん・・・私はどちらかというとやんちゃな方でしたので、毎日吊るし上げを食うわけです。
「ぽっちゃまくんが今日私に馬鹿って言いました~あやまってくださぁーい。」
私は悪いと思ってないので絶対に謝りませんでした。謝ったことがありません。
こういう集団の糾弾に耐えるのはとてもではないけど苦痛でした。
バカと言う言葉が暴力であるのであれば、この糾弾こそさらに過酷な暴力のように思えていました。
そもそもなぜ馬鹿と言ってはいけないのかが誰も何も説明出来なかった。
ただ言われたら嫌な言葉だからとか、人が傷つく言葉だから、とかそういう答えばかり皆していました。
大した優等生です。
大人になっても、教員採用試験の集団面接で、テーマ上の議論でそういう風に言う学生・大人多いです。
私は本質が彼らは分っていないと思う。
「お前麻薬なんかバカみたいなことやめろよ!」
「お前万引きなんて馬鹿な事をするんじゃない!」
どうでしょうか?
これは汚い言葉でしょうか?
「掃除の時間なんだから馬鹿なことしてないで掃除しようぜ!」
そう、こういう使い方で私は帰りの会でつるし上げを食らっていたんです。
掃除をさぼっている人よりも、それを注意するために言った「馬鹿」を帰りの会で全員で糾弾するのです。
なんて下らない教育だろうと今でも思います。
言葉を発すると言うのは難しく、人間の言葉は複雑です。
相手の立場、その時その場所、そして相手の心、自分の心といろいろ状況に合わせて使い分けねばなりません。
この「馬鹿」という言葉、馬鹿というのがただ単純に悪い言葉だと決めつけて、禁止にしたからこういう状況に陥るんですね。
個性重視教育の「個性」というものの考え方と一緒です。
個性は大事だと言いながら、個性の定義付けなんか全くされていません。
何を大切にすべきかなんて深く考えるのは二の次というのが今の教育界です。
言葉というのは、とても重たく、そしてとても扱いが難しいものだということですね。
そして、その言葉を発する人間の経験や知識で、同じ言葉でも全く違う意味合いを持っていたりします。
最近よく写真を撮りに行って可愛がっているカワセミです。
彼らは、飛ぶときにほぼ必ずと言っていいほど「ピーピー」と鳴いて飛びます。
これは言葉を発しているんですね。
どういう言葉かは私には分かりませんが、自然界の動物。ただやみくもに鳴いたりはしません。
自分自身の居場所を天敵に知られてしまうだけですから。
虫嫌いな方申し訳ありません。
これはアシナガバチです。
彼らも言葉を発します。
彼らの言葉は鳴き声ではありません。飛び方や、匂いです。
遠方に居る仲間に見えるように八の字などの印で分かるように飛んでいたりします。
敵を発見したとき、餌場を発見したとき、また自分が殺されてしまった時は警告臭を出したりもします。
これも言葉ですね。
という風に、自然界で人間以外でも言葉を発しています。
相思鳥という鳥がいますが(上の写真の鳥ではありません。上の写真はコサギです。婚姻色が出ています。)
相思鳥は、つがいを2つに分けると、また出会うまで鳴き続けます。
お互いがお互い、自分の居場所を相手に伝えようとするんですね。
また出会うと鳴くのをやめます。
人間との言葉の違いは、彼らは伝えたいことを直接そのまま有益な情報として伝えているだけです。
仲間・敵。
そういった区分けをして、そして仲間には有益な情報を。
敵には警告を発するわけですね。
ただそれだけを言葉で使っています。ゾウや猫などになるとある程度会話もしていることでしょう。
人はどうかと言いますと・・・
人の場合は先にもあげた通り、とても複雑で難しいのです。
相手を傷つけるかもしれないと優しい方であれば、おそらく言葉を発することすら恐怖かもしれません。
自分自身が傷ついた経験が、そのまま相手に同じ目にあってほしくない、
きっとそういう風に思うと、言葉と言うのはなかなか出てくるものではありません。
ではどうしたらよいのでしょうか?
それもまた難しいことですよね。
私にもどうしたらよいかなど分かりません。。。
ただ、自分が後悔しないように素直に話しています。
思うことを素直に、もちろん相手がいることですので、相手に伝わるように全力で考えます。
これとても疲れますが、疲れてもやるべきことなんですね。
中には私はあまり言葉を知らないからそんなんわからん。
そういう方もおられます。
それは、私も最初からわかるわけではありません。本を読んだり何をしたりと勉強がいるんですね。
そこがとても大切だと思っているのですが・・・
なんにせよ、言葉というもの。
とても難しく、一筋縄ではいかないものです。
今後もじっくり考えていかないといけないな・・・なんて思います。
なんだか何の答えも出ずに中途半端ですが・・・
ちなみに、
私の母校の小学校、私が教育実習で戻った時に、同じことを未だにしていました。
バカと言ったらいけないそうです。
そして・・・
私が掃除時間に遊んでいる子に「馬鹿なことしとらんと、掃除ばせんね!」と言ったところ。
最近の子は大人を自分より下だと思っていますね。
なんと帰りの会で、私が吊るし上げを食らいました。(懐かしかったです。)
「先生がバカって言ったので謝ってください。」
私「なんで謝らないかんのや?掃除しとらんかったお前が悪かろうもん。」
子供「傷ついたんで謝ってください。」
私「先生は悪いと思っとらんけん、謝らんぞ。そもそも何でバカって言ったらいかのや?」
子供「傷つく言葉だからです。」
私「そしたら、いつも仲がいい、K君が例えばロッカーの上の金魚を水槽に手を突っ込んでいじめていたとしよう。K君名前出してごめんな。そんな馬鹿なことはやめろよ!と言って止めないのか?」
子供「・・・」
私「掃除してなかった人間と、掃除をしなさいと注意した人間とどっちが正しいんや?」
子供「・・・」
私「そうやろうが?先生もただ単にたとえばお前たちが漢字が読めなくて馬鹿と言ったんならいくらでも謝ろう。けど、そうじゃないやろうもん。実際、お前たちを本当に馬鹿だとは思ってない。」
子供「でも使っちゃいけない言葉です。」
私「そういう言葉でも愛情がある時とない時があるのを知ってほしい。先生が言えるのはそれだけ。」
そこで帰りの会が終わりました。
そしてこの後、ゴッポシ担任の先生に怒られた私でした・・・