ぐーてんもーげんっ!
 今よりちょっと昔の話。
 私は、産まれた時からわかるタイプのGIDではありませんでした、残念なことに。
 でも、私が憧れたのは、不思議と某光の国の巨人やら某戦隊ではなく、セーラームーンとか、おジャ魔女といったキャラクターでした。ランドセルも、赤がいいといいました(最終的に灰に決まりましたが)。でも、当時はまだ、素直に親の言うことにしたがっていたので、それらのことは押し付けられてふたをされることになります。このころから、本を呼んだり絵を書いたりするのが好きな子でした。
 ふたたびそのケがでてきたのは、小学5年生のとき。当時RPGツクールにはまっていた私の作った物語の主人公は、女の子でした。そして、そのころから徐々に、言葉遣いも変わっていきました。まあ、何を勘違いしたのかお嬢様言葉でしたけど。「~ましてよ」とかなんぞ。
 小学6年生のときに起きた声変わりがすごく嫌だったのを覚えています。自傷行為を繰り返したり、そういったことをしていました。体つきも、男らしくなるのがすごい嫌でした。まあ、それほど男らしくなりはしませんでしたが、でも許容できる範囲外であるのは確かです。髭も、脛毛もいやでした。そんなの、一生はえないで欲しかった。そう、その辺にいる普通の女の子のように。
 中学に入ると、よりそれは如実にあらわれていきました。髪を長くしたがったり、局部を破壊しようとしたり。日に焼けるのも、嫌でした。なんとなく、イメージ的に日に焼けた子は運動を趣好する子で、運動を趣好するのは男の子っぽいって感じがしたからです。私は、男ではいたくありませんでした。それは、ずっと昔から思っていたことです。最近までそれが何故なのかわかりませんでしたが、今は違います。それは私の同一性にそぐわないことだからです。私として、おかしいからです。私が、女の子だからです。ともあれ、中学2年のころには、夏でもブレザーを着るような子になってました。あつくて倒れそうでした。そのころからでしょうか、一人称も私になってました。たまに妾で、たまにうちで、たまにあたいでしたが、基本は私でした。
 高校に入ると、私は一人でいることをこのむようになりました。私は、偽り疲れてました。そうして、無理がたたりました。爆発しました。高1の秋、私は家出をしました。その家出の道中、なんども死のうとしました。無理でした。そもそも、そんなことをやってのけるだけの力があれば挫けることもないと思います。私は、家に帰ってました。そうして、そこまでしてやっと、精神科にかかりました。きっと、両親は私のこと、普通の男の子だって思って目を背けようとしてたんだと思います。目を遠ざければ遠ざけるだけ、それに直面した時の痛みは大きいものです。ちょうど光になれてない人が眩い陽光を見ると普通の人より目に痛みを感じるように、苦しいものです。私を取り囲む世界は、いびつに歪んでいきました。父は普段にも増して、よく怒鳴るようになりました。母は、よくなくようになりました。感情の弱いところが出るようになりました。私は、父への嫌悪からますます男であることがいやになり、クラスメートの男子生徒に何気なく触られた程度のことでも嫌悪感を覚えるようになりました。もう、縋れるのは自分の空想だけでした。私は夢を見ました。優しい世界の夢を。仲のいい友達と毎日だべって、時に人並みに恋をして、時に成績のこととかで悩みを抱えて。そんな日常です。私は、それを諦めたくはありませんでした。振り返れば、友がいました。私は彼女に救われました。彼女は、私の相談に乗ってくれました。私の相談を聞いても、嫌悪するようなこともありませんでした。彼女のような友人をもてて、私は幸せです。ですが、それでもくじけた心は中々立ち直らなくて、私は現在、休学中です。でも、いい方向に向かっているんだと思います。不思議と、不安はないんです。全部上手くいきます。いつか、友達とガールズトークしながらショッピングに行くような、そんな日が来るって、その日のために私は今日も頑張ります。