






熊野神社前のカレー屋から丸太町通りを東進したものと思うが、吉田東通りなのか、左折して住宅街を行って適当なところを入ったら坂道になっていて、登った所にちょっとした広場があり鳥居があった。
吉田神社は有名だろうに妙に寂しいところだと思ったが斎場所大元宮と言って末社であった。
鳥居を入って門構えのある白壁の向こうに茅葺の屋根が見える。木戸の隙間からのぞくと奇妙な形の社殿があり、扁額には「日本寂上 日高日宮 大元宮」であろうか、なぞのような文字列がある。
社殿の周囲も見慣れない空間になっている。本殿は八角形で、後房として六角形の社殿がある。
当社は吉田兼倶(かねとも。一発で変換できたがそんなにポピュラーかな)が1484年に造営、さらに吉田兼見が1609年に勅を受けて神祇官代として伊勢例幣使(れいへいし)の儀礼を修め、以来、明治に至るまで吉田神道3千余社の神職の任免権を持って権勢があった。あの吉田兼好の家系だ。
神社のいわれは今になって知ったが、現地ではたしかに荘厳な感じとともにえもいわれぬ情念のようなものがたちのぼる雰囲気があった。