




島原からは山陰線沿いに下がった。梅小路の蒸気機関車館に行きたかったのだが、バイクで入れそうな入り口がわからない。時間も遅くなってきたのでやめておく。
御前通りだったのか九条通りまで下りて左折。5~600メートルで羅城門の町名やバス停が目に付いて迷うことはなかった。
九条通りに面して矢取地蔵という奇妙なたたずまいの建物があって、その横、短い路地を入って児童公園の中に石碑がある。
ワシは芥川龍之介の小説「羅生門」でその名を知ったのだが、そういう意味で見ておきたかった。
羅城門は平安京、朱雀大路の南端にあって洛中洛外を分けていた。構造は重層の入母屋造(いりもやづくり)、瓦屋根に鴟尾(しび)がのる。幅十丈六尺(約35m)、奥行二丈六尺(約9m)、(立札では32m、8m)高さ約七十尺(約21m)という、見るからに立派なもので外国使節を迎えるに充分だった。
多少ネットで資料を見たが建設に関しては詳細がないので平安京建設と同時にできたとして794年前後。だがいくらも経たない弘仁7年(816)8月16日、大風により早くも倒壊。その後再建されたが、天元3年(980)7月9日の暴風雨でふたたび倒壊。以後、再建はなかった。
喪失原因が珍しく火災ではないが、規模のわりに奥行きが短かく、カキワリ状態だったので情けなくも、風害に弱かったと言う。建設目的がカキワリであったのだから仕方がないということか。
復元模型があって京都駅前のぱるるプラザと京都府京都文化博物館(中京区三条通高倉)に展示されているという。その写真を見ても壮大な建築物であったことがわかる。
ただ、この石碑も明治28年(1895)、平安遷都千百年紀念祭の事業の一つとして、平安京実測事業がなされ、羅城門の位置を決め、建てられたというのだが、かつては遠くからも見えていたのだろうが、歴史的には最近まで全くわからなくなっていたというのが面白い。(というか、現在までその遺物の発見はなく、現在の「位置」も、あくまで推定ということだ)
文化財の復元がよく聞かれるが、当地周辺は住宅密集の市街地で、いくら熱心でも同じ場所での再建は不可能だ。再建するにしても同じ構造なら確実に強風で倒壊するから頑丈に作ってほしいが。
現在の石碑で目に付いたのは刻まれた「羅城門」の文字がいかめしく、いかにも立派だった昔を文字にとどめていると感じさせるところだ。
そして芥川龍之介さえも身近に感じるように思えた。