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◎島原あたり・②・角屋(すみや)http://www16.ocn.ne.jp/~sumiyaho/

島原住吉神社の前の路地を下がって行くとすぐに道はクランクになっていて道端に小さな石碑。「東鴻臚館址(ひがしこうろかんあと)」とある(写真1枚目)。

鴻臚館とは迎賓館のことで、発祥は奈良時代に始まり、筑紫館や難波館などがあり、平安京のそれは新しい方だと言う。当時の外国使節、渤海国使をもてなしたと言う。島原の土地のなりたちは鴻臚館に由来すると言っても良いようだ。

石碑に隣接して角屋がある。木造で二階建て。その前の道を少し行くとまた小さな石碑がある。「長州藩志士 久坂玄瑞の密議の角屋」とある(写真3枚目)。

角屋とは揚屋、料亭であるという。寛永18年(1641)六条三筋町から現在地に移築し、その時の移転騒動が島原の乱にたとえられて地域を島原と通称した。町名には「揚屋町」や「太夫町」といった、それらしい町名が残っている。

角屋の建物は昭和27年に文化財指定された。だが角屋を人々の記憶にとどめたのは幕末の事件に絡んでいたこともあるだろう。

石碑に名を残した久坂玄瑞をはじめ新選組の面々がある。芹澤鴨は当屋で暴れたらしいし、その時の刀傷があるという。芹澤は暗殺された日にここで酒宴を開いていた。

京都といっても幕末のころは市街地はもっと狭かったはずで、その上に一つの建物に勤皇,左幕が出入りしていたというのは、現実としても、これはどう考えれば良いのか。

そうは言っても角屋さんは外から見ただけです。現在は保存会によって「角屋もてなしの文化美術館」として公開されているが、入場料1000円ということで入らなかった。高いと思ったのね。ですから中途半端な観察になったことは否めません。後悔はしてないけど。

ひとしきり見たあと角屋のそばで自販機でポカリスエットを買って一休みしたが、周辺は現在は住宅街で静かで、ここがかつて花街であったとは想像できない。歴史だなあと思った。