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◎六波羅蜜寺http://www.rokuhara.or.jp/

旅も終盤近いのでチカバに行っておくか、というわけで六波羅蜜寺。東大路通り、五条の交差点から北西方向、裏道に入って近い。

行ってみると有名なわりにこじんまりとしているので、その点意外であった。周囲は密集した住宅街で、お寺さんの方が肩身が狭いと言った風。度々の兵火にも遭ったが、寺域が縮小したのは明治の廃仏毀釈だという。

天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開基。西国第17番の札所。当初は西光寺と称した。

空也上人はそのとき本尊とした十一面観音を車にのせて疫病の蔓延する市中をまわり、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという話はよく知られている。

その様子は「歓喜踊躍して」とか、また、その茶は皇服茶(おうぶくちゃ)として、踊躍は六斎(ろくさい)念仏としていまに伝えられているという。

その後応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行い、この時をもって西光寺の創建とする説もあるという。当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であったという。

宗教家では空海とか最澄と言えば知らぬものはいないが、そういう天才は別として、天皇の血筋がありながら現実の市民の困難に奮闘する。それはそれで尊敬に値するだろう。そしてかなりの行動力があったのだ。

拝観料500円。失礼だが建物関連にはこれと言って驚くようなことはないが、多くの彫像がメダマ。

中でも教科書に載っている空也上人像と平清盛像はあまりに有名。上人像は昔、ワシは東京・上野の博物館で見たような記憶があるのだが、なにかの特別展であったろうか。

像の製作は鎌倉期だそうだが、人として生前のイキザマをこれほど表現している像というのもあまり例がないだろうが、そういう意味でも上人の存在は人々に強烈なアピールがあったのだ。

平清盛像もよく知られているが、これは上人像と逆に歴史上の大権勢を持った人間と言う感じがなく、まさに僧形然としている。

境内には阿古屋塚とか平清盛塚などあるが(写真3枚目)、手水舎なのか石造の器などに、かつての伽藍にあったのか「普門院」とか、山号の「補陀洛山」の文字が落書きのように刻まれているのが面白い(写真6、7枚目)。