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◎蚕ノ社http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%B6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE

法金剛院を出るともう4時。普通には入場できるところはない。出入り自由の場所に行く。蚕ノ社は法金剛院の南西方向。数百メートルかせいぜい1キロ。距離は近いがやや迷った。

木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)。通称で蚕ノ社。御祭神は天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)、大国魂神(おおくにたまのかみ)、瓊々杵命(ににぎのみこと)、穂々出見命(ほほでみのみこと)、鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)というのが一般的。

鳥居は磨き丸太だ。最近になって再建したものらしい。北山杉だろうか。

神社の創建は式内社であるばかりでなく、続日本紀・大宝元年(701)の条に記載があり、その古いこと京都でも最古の部類にあって、秦氏が上記の御祭神を祀る以前に太古の地元神が祀られていたと言う様な説も見えることから、そもそもナゾのある神社だ。

そして御祭神についてもその神社名にあるように「天照御魂神」はどうしたという話もあるらしい。神社名にあるのに祭神ではないのかということのようだ。ここらへんのことについてはワシのような野次馬にはわからん。

神社名ということでは、そもそも「木嶋・このしま」というのもおかしい。一般的にはこのあたりは「元糺の森・もとただすのもり」と言われているように森があるからという。

しかし、神社にはどこも神域というようなことがって、森はつきもので、ここだけが特殊なわけではない。「木嶋・このしま」と言う名は他にあるかもしれないが一般的には聞かない。名称自体も疑問の余地アリと思う。

そして「三柱鳥居」である。本殿の西側にあって、「元糺の池(もとただすのいけ)」の中央に建つ。現在は湧水もなく、排水溝の上に柵が閉じられていてそばにも行けないようになっている。

天保2年(1831)に石造にして再建された。3本足の鳥居の中央には瓦礫のような岩が積み上げられている。「亨保六年(1721)銘の常夜灯には、磐座(いわくら?)宮と刻まれている」という資料もあるので、岩神様のような存在かもしれない。

この不可思議な鳥居こそ神社のナゾを象徴している。秦氏のナゾに由来しているとも思われるし、景教やユダヤとの関連も取り沙汰されている。

それにしてもいろいろナゾが多い神社だ。今度の旅でもこの三柱鳥居はメダマだった。三柱鳥居は見れば見るほど謎めいている。

ただ、そうは言っても眺めていれば謎が解けると言うわけでもない。しかし、気持ちはおさまる。

PS・・・秦氏のハタは機織(はたおり)の「はた」の語源である。だから秦氏は絹織物を天皇に謙譲したといういわれもあるくらいだが、絹織物の製作をつかさどっていて、この神社も「蚕の社」とされる由縁である。
絹、蚕とくれば即、シルクロードであり、弓月の君の伝説があり、それはまた中東の古代国家を発祥としているのである。