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◎天寧寺(てんねいじ)http://www.ne.jp/asahi/tenneiji/home/(ガクブチモン)

あの「がくぶちもん」である。忘れないうちに行っておこうと思った。そして行くのならコースの最初で町にあんまり人出がないうちがいいんじゃないかと思った。

東大路通りをひたすら北上して百万遍で左折、今出川通りに入って鴨川を渡る。寺町通りを右折。鞍馬口通りにつき当たる手前が天寧寺。「額縁門」の寺である。

到着して門前正面に立てば門の真ん中に青霞に染まる山のいただきが出現する。あっけなくもこれで目的は果たしたわけだ。ただ、その山が比叡山かどうかはワシには断定できんが、そうなんだろう。

山門があたかも額縁のようになって比叡山を見通せる。これは意識してやったものだろうか、それとも偶然だろうか。

お寺の由緒は会津に天寧寺はあったが天正14年(1586)に焼失したので祥山和尚が文禄元年(1592)になって当時の天台宗松陰坊の遺跡であった当地に移す形で寺を建立した。

またまたミステリーがあるのだが、その会津には天寧寺は現在も存在する。その本家についてはネットではほとんどわからない。ただ傑堂能勝禅師(けつどうのうしょうぜんじ)の建立ということではどのネット資料でも一致している。

その会津の天寧寺には会津藩と関係があった近藤勇の墓もある、とどこかのサイトで読んだ。違ってたらゴメン。

問題はこの傑堂能勝禅師なんだが、あの楠木正成の孫だとか八男だとか言われているが、ワシが見た限りでは年代的には孫の正勝というヒトの生存年代(1300年代末頃)が近いし「勝」の字が一致するから同一人物かもしれないと推理するが、あくまで年代と名前が似ていると言うだけだ。

それにしてもネットで見てもあちこちで別々な説明がある。

当寺は年代的には新しく、本堂(写真6枚目)は文化9年(1812)の再建。本尊の釈迦如来像が安置されている。書院は天保14年(1842)の再建。観音堂(2枚目)には後水尾天皇の念持仏、十一面聖観音仏と東福門院の念持仏と伝えられる薬師如来像を安置しているという。

そして例の山門は嘉永2年(1849)の再建である。稲荷神社(3枚目)もあるところが面白いところ。

特に立札にもあった「カヤの木」を見たかったのだが、どう行けばいいのか塀の外からしか見えなかったが、どうすればよかったものか。

門前で写真を撮っていたときいかにも檀家の方達といった人たちが20人ほどもぞろぞろ門の中に入っていったのだ。しばらくしてワシもそのあと境内に入ったのだが、読経が聞こえてきて、どうも法事のようなことをやっているようであった。ごめんくださいとは行きにくい。

結局境内をひとわたり見ただけで出てしまった。

・・・この記事も一日かかった。クタビレタ。七堂伽藍の大寺院でもないのに。なにしろ傑堂能勝禅師というヒトのことがナゾで楠木正成のことからネットで見ただけだが右往左往するだけで結局わからんのよね。