








大社門前の祢ざめ家を出たあと、ぬりこべ地蔵と思ったのだが、大社南側、疎水、京阪線の東側の地区は京都市街の整然とした町並みとは打って変わって狭い路地が迷路状態になっていて迷い、気がついたら宝塔寺の前に出ていた。
あとでネットで知ったが、その昔、宗派間の武力衝突があって、防衛上の必要でこのような町並みになったという、こういうのも歴史のなごりだ。
それにしてもこのあたりは観光地からはずれているせいか、通行人もいない。
宝塔寺の創建は・・・ここでは現地の立札に従っておきますね。
藤原基経が発願し、その子、藤原時平が昌泰2年(899)に大成(完成ってことだろうか、初めは小寺だったが拡大したというのかわからんが、そうなってる)した真言宗極楽寺が前身で徳冶2年(1307)住持良桂が日像に帰依し、日蓮宗に改宗した、とある。
帰依というとなんでもないようだが、多くのネットでは住持の良桂上人が日像上人と3日3晩法論して負けたためか感服したためとある、良桂上人も潔いというか、こういうのも珍しいだろう、話が本当なら。
藤原時平と言えばどこかで聞いたと思ったら、あの菅原道真を讒言して大宰府に左遷させ、そして自らは39才で早逝して官公の怨念を被ったという伝説の登場人物になった、その人である。
寺内、重文もあるのに気のせいかひっそりとしている印象があるのはそのせいか。つまり人気(にんき)がない。
大成か完成が800年代というのはいかにも古いが、例にもれず応仁の乱(1467~)などで焼失している。
本堂は(写真6枚目)、慶長13年(1608年)の建立で、日蓮宗本堂としては京都最古。総門(1枚目)、多宝塔(大きい写真と5枚目)とともに重文。平成14年度に、本堂解体修理をする大工事が竣工している。
重文の総門をくぐるとゆるい傾斜の石段が長く続く(2枚目)。左右は塔頭の門構えが並ぶ。仁王門(3枚目)は仁王さんの頭上の天井に平成12年に再現されたという彩色のある格天井がきれい(4枚目)。
中央に本堂。右手に二層の多宝塔。京都で最古だという。その奥は墓地だったかな、左手に周った。
古い蔵のような建物があり、その左手奥に奇妙な建造物。渡り廊下に屋根がついた太鼓楼(8枚目)というらしい、これも面白い、中央部分が通り抜けられる、そこを行けば山上の七面大明神を祀る七面宮があるというが、これはやめておいた、石段が長々と続いて、見上げただけでうんざりしたのだ。帰れなくなるかも知れんと思ったから。
PS・・・ちなみにこの宝塔寺と「あの」藤原時平が関係あると書いているサイトはワシが見た限りでは見当たらなかった。みなさん、ここがあの人のあれですよ。