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◎東丸神社(あずままろじんじゃ)http://www.hi-ho.ne.jp/kyoto/azumamaro.html

この神社は偶然ではなく、始めから行こうと思ってた。ただ、神社自体の由緒等は全然知らなかった。伏見稲荷大社に接しているようなので行きやすいだろうと思っただけだ。

しかし、それにしてもすこしは外の道を歩くかと思ったらすっかり境内にあるといっていいほどだったのには笑えた。

由緒は立札で読んでわかった。神社名の「東丸」は「あずままろ」と読む。「まる」じゃない「まろ」だ。そして江戸時代の国学者荷田春満(寛文9年・1669~元文元年・1736)を祀っている。名の春満も「あずままろ」と読むようだ。というか「東丸」の読みを単にアテただけだろう。(ここらへんの事情は下記参照)

伏見稲荷との関係は荷田家が稲荷社の社家、神官の家柄だった。東丸は頭脳明晰,長じて吉宗のころの幕府に仕えた。おりしも元禄、大石内臓助とも親交があって討ち入りの陰の援助をしたと現地の説明掲示がある。吉良上野については人がよくないように言っていたというのが面白い。吉良さんもさんざんだ。

神社は伏見大社とは独立し、学業の神様、合格祈願の神様になっている。境内のどこかに「伏見大社とは別です」というようなことわり書きが出ていた。社務所もあって人もいる。

創建は新しく、明治16年(1881)の春満の従四位追贈を記念してのものだという。

合格祈願の絵馬もたくさんある。神社はかなりこじんまりしたものだが、本殿のほか春葉殿、荷田社(かだのやしろ)として荷田家祖神を祀る社殿(写真3枚目)もある。

隣接して春満の屋敷と言われる建物が保存されている(写真5枚目)。公開はないようだ。

(☆本性は荷田、氏は羽倉と云い、通称を斎宮と呼び、初の名は信盛、後に春満(東麻呂とも書いた)と改めた。)