








丹波屋の前の本町通りを少し下がれば左手に東福寺入り口。そこを入っていくと右手に塔頭の芬陀院がある。
この寺院は当然規模は小さいが、そのぶんはっきりしないっちゅうか、これは今まで一番のミステリーじゃないかな。
それに帰ってからわかったんだけど、現地の立札と、お寺でもらったパンフの内容が違うのね。
まず、現地の立札の問題箇所。「元亨年間(1321~1324)に時の関白一条経通が東福寺の開山である聖一国師の法孫、定山祖禅和尚を開山に迎えて創立した」とある。
だが一方、お寺でもらったパンフでは開山は同じ定山祖禅和尚だが創建が「当院は元亨年間(1321~1322)時の関白一条内経公(1291~1325)」となっている。
「元亨年間」の年度が2年違うのは誤植の範囲として、創建者が「内経」と、その子の「経通」と言うように違っている。
①立札の「創健者が一条経通」とする記述については、一条経通の生没年は1317~1365であり、1321年ごろは4歳の幼児だ。単なる名義人ということか。「時の関白」とすれば父親の一条内経のほうだ。
②パンフで、元亨年間(1321~1324)に創建したとすれば創建者の一条内経の生没年は1291~1325で関白在職は1319~1323なのでアリバイ的には正しい。しかし、後述するが、これは怪しい。
③立札の「時の関白」とある一条経通の関白在職期間は1338~1342である。元亨年間(1321~1324)ではない。
同じお寺で立札とパンフで正誤は別にして全然違う内容ってのもおかしいよね。
すると問題は芬陀院の正しい創建年代だ。実はこれについてはネットでは出ていない。以下にネット上での芬陀院解説の傾向をあげる。
①創建は「元亨年間(1321~1324)」というのが解説の全部の共通点。
②創健者は「一条内経」と、その子の「一条経通」にわかれる。
③開山は「定山祖禅」で全部共通している。
それで、どういうことが言えるかだが、
①創建年を「元亨年間(1321~1324)」とすれば、創健者は当然「一条内経」になる。
②開山は「定山祖禅」というのも共通しているが、ワシがネットで見た限りではこの人の生年没年は不明なので明確には言えないが、1368年に南禅寺の僧として流罪になっているので、逆算して1321年ごろでは、その約50年前であり、1321年ごろに年齢的に見て全くの推定だが10代か20代になるだろう。しかし、わざわざ個人名を出しているのだから開山は定山祖禅だろう。とすれば逆に創建年が間違いということになる。
では別件から見る。
①寺名の「芬陀院」は一条内経の法名だ。もし、一条内経が創建したなら、自分の法名の寺院を建てたことになる。あるいは自分で建てた寺の名を法名にしたわけだがこれは考えにくい。
②だから状況的に一条内経の子の一条経通が父親を弔う意味で芬陀院を建てたと考えるのが常識的だ。
③開山の定山祖禅は1368年に流罪になったとすれば、そのころ壮年期にあったと思えるから、一条経通と同時代の人間と考えるべきだ。
④一条経通は1346年に東福寺の仏殿再建をしたが、これは経通が関白を退任後であるが関連はないか。
よって結論はどうか。
①芬陀院は一条経通によって1325年以降に創建された。(経通の関白在職期間をみれば1338年以降)それは父親の一条内経を弔うためであり、一条家の菩提寺とするためである。
②開山は定山祖禅に依頼した。定山祖禅は一条経通と同年代である。この10~20年後に流罪となったとすれば「合う」のではないか。
つまり、創建年は言われている「元亨年間(1321~1324)」より20~30年あとになるんじゃないかってこと。理屈的に。「元亨年間」という断定が、わかりやすいので一人歩きしたように思う。
ちょっと思いつくままに書いたので、おかしいようなところもあると思うが、今後も調べて変更するかもしれないが、とりあえずそういうこと。
肝心のお寺さんのことだが、茶室の「図南亭(となんてい)」だが、この「図南」の額は、あの石川丈山の筆だ。お寺のパンフでは全然触れてないのが気になるというかもったいないというか。
その「直筆?」も室内に額装されているのが見られる。(写真8枚目)
それにしても、この芬陀院ばかりじゃなく、正しいか誤りかはともかく、見る資料によってずいぶん違っているね。
ほんとにミステリー。
・・・この記事書くのに一日かかっちゃったよ、すっかり芬陀院マニアになった。
くりかえしになるが、まとめとして芬陀院は・・・
★創建が延元1336~1339、興国1340~1345、正平1346~1369、のどれか。可能性としては正平年間が濃厚。(元亨年間(1321~1324)ではない)
★創建者は一条経通(1317~1365)
①一条経通が創建し、開山は定山祖禅。時期は内経の没後であり、経通の関白在職以降1300年代の中葉以降。1340年前後から遅くとも(定山祖禅が流罪になる)1368年までの間。
②創建年が「元亨年間(1321~1324)」という資料が多いのは経通の父、一条内経の没年1325年と混同があったせいであろう。なぜなら芬陀院は内経の菩提を弔うということだからだろう。だから創建年は・・・
③繰り返しになるが創建が元亨年間では経通は4歳ほど、定山祖禅も推定になるが10代か20代のはずで、開山を担う僧とは考えにくい。それに芬陀院という寺名は一条内経の法名でもあるので、自分の法名の寺を建てるとは考えにくい。ただしそこらへんの慣習は知らんので根拠は示せないが。
・・・與杼神社(与杼神社)でも同様であったが、文化財になっている寺社などの前によく立っている立札は当の寺社の意向とは無関係と言うことがわかった。立札は行政が立てているが当の寺社と相談や確認などはしてないらしい。みなさん、そういうわけですから、立札の内容は参考程度に思っていたほうがよいようです。なんでもそうだが自分の目で確かめるのが一番です。