







泉涌寺道を戒光寺からさらに出口方向に行ったところに即成院がある。那須与一で知られているのだろう。
お寺自体はやはり紆余曲折があった。そもそもは正暦3年(992)恵心僧都により伏見に建立された光明院が始まりだが、その後深草大亀谷に移転、明治時代には廃寺になったという。
その後本寺である法安寺と合併、更に明治35年泉涌寺総門の現在の地で再興され、即成院と呼ばれるようになったという。
当寺には那須与一の墓があり、阿弥陀如来と日本唯一という二十五菩薩を重要文化財として安置している。それを見たかったのだが境内に入るとなにやら行事の最中であった。
テントが張られていて「大護摩供法要」とある。先ほど出会った山伏の一団が人の背ほどに積まれた柴の前で問答をしている。歌舞伎の勧進帳さながらだ。というか歌舞伎がここから演劇化したとわかる。
本堂には参列者がたくさんいて見守っている。問答の内容は言葉使いも難しいのでさっぱりわからなかったが、途中、答える方が言葉に窮する場面があって気の毒であった。覚えるのはタイヘンよ。きっと。
行事は進行して四方に矢を放つ仕草をしたあと。いよいよ柴に火がつけられた。しかし、ただ燃やせばいいというものでもないらしく、周囲に水をかけている。そのせいか炎はあまり見えず煙がもうもうと立ち上る。
風もなかったがワシの方にも何度か煙が押し寄せてきた。意外にこれがけむたいということがない。この煙はゴリヤクがあるそうだ。
阿弥陀様も二十五菩薩も見られなかったが、ゴリヤクをいただいたからいいでしょう。