








わら天神からは少し下がってわら天神前交差点を左折、途中狭くなる寺之内通りを東進、千本通りに出て少し上がれば千本えんま堂。
近くに商店街があったかな、そういうこともあって外見は宗教色を感じないというか、まさかお寺とは思えない風情。チョットの間、ここがそうなのかと考えた。駐車場だろうかなんて。でも看板もあるので間違いなさそう。
たしかに月極めの駐車場もやっているんだろう。全然とがめる人もいないのを幸いに「空き地」を入って行く。
正面には本堂がある。開け放たれていて参観自由だ。たしかにはじめ気抜けしたが、しかし、ここに御鎮座あそばす閻魔様は全身は現さず、わずかに顔の半分が見えるだけになっているが、コワイ!(3枚目の写真)正しく生きようと思う。
少ししか見えなかったが、誰かに似ていると思ったが島木譲二だ。
本堂を中に入って行く。いろいろ張り紙があっていかにも手作り感いっぱい。なんの為か大きい水槽のようなものがあってその向こうにお地蔵さんがたくさん並んでいる。
当寺は小野篁(おのたかむら。802~853年)が開基。篁は、地獄で「閻魔大王」に会い精霊(しょうらい)を現世に迎える秘法を教えられ、それを衆生(しゅじょう)に伝えるために堂を建てた。その後、平安初期の長保6年(1004年)、定覚(じょうかく)上人が引接寺(いんじゅうじ)と命名して開山したと伝えられる。
小野篁は六堂珍皇寺でもその名を見ることになるが、異能の持ち主で地獄と行き来したという人物だ。ここが本拠だったのかな。
紫式部(979?~1016?)が、篁を敬っていたものか当寺には紫式部の重文の供養等がある(6枚目の写真。半分だけだが)高さ6m余りの石造十重。紫野の白毫院(びゃくごういん)から移転されたもので、そもそもは南北朝時代の至徳3年(1386年)に紫式部の不遇な生涯を弔って建立された。移転の経緯は不明と言う。堀川北大路下る西側に二人の墓があるというが、見たかった。
境内南側の建物玄関の頭上にケージに入ったえん魔様があった(8枚目の写真。見にくいが)これはどういうイワレか。面白いが謎だ。
小野篁(おのたかむら)と紫式部との関係や供養等のいわれなどは調べると面白いかも知れん。京都に住んでいればなあ。
そうそう、今回の京都旅行はなぜか小野篁の名をあちこちで見ることになったが呼ばれたのか。