





平野神社を出て西大路通りを北上すればいくらもせずに左手に敷地神社だ。というより「わら天神」のほうがトオリがいいのかな、近くの交差点の表示にも「わら天神前」とある。
西大路通りの鳥居を西に向って入ると参道は北向きに曲がる。奥に2棟の社が前後にずれて建つ。左が本殿で、右は摂社の六勝神社。この風景はチョット面白い。摂社としては本殿にせまるような存在なのか。
わら天神の「わら」と言うのは当神社の護符が「わら」で、その節の有無で赤ん坊の男女を占ったと言うこと。そして安産の神様になった。ワシが行ったときにもお宮参りの人がいた。
神社の由緒は古く、もともとは北山の神として、現在の金閣寺あたりにあった天神地祇だという。そして、天長8年(831年)、氷室が設けられたおりに、その夫役(「ふえき」?これは労役の提供ということかな)として加賀の国より移住した人たちが、もともとかの地で崇敬していた菅生石部神(すごういそべ)の分霊を勧請して、子々孫々の氏神とすべく、北山の神の西隣に祀ったそうで、祭神を菅生石部神の御母、木花開耶姫命(このはなさくやひめ)と定めたとのことでした。と神社のサイトにある。
で、金閣寺を造るときにここに移されたのだ。しかし「わら」のことがわからない。まあお稲荷さんとの連想で、「いなり」は「いね」で、それが「わら」になる。縁起がいいとは言えるだろうが。「笑(わら)う」とも言えるのかな。または「魔」を「はらう」が転じて「わらう」、それが「わら」になったと・・・まあそのくらいでいいか。
そして摂社として六勝神社が隣接している。一見、二つの神社があるように見えるが摂社は遠慮して?後ろに下がってる。これは奈良から移ったものとどこかのサイトに出ていた。奈良には「六所神社」と言うのがあるからそれでしょう。「六所」が「六勝」になったものか。
わら天神で安産、お宮参りをし、長じては六勝神社で学業成就を祈願する。一貫している。
境内には下り松を思いださせるような木の株も祀られている「綾の杉」。「拾遺集」に安和元年(968年)に読まれていたと言うから古めかしいものだ。明治時代に倒壊したというがそれまで生きてたのかな。
実をいうとこの神社のことはなかなか難しい。「勧進」や「移転」や「合祀」が重なっているんでね。それに創建が天皇や有力者でないのではっきりしなくなっているのだ。