




淀城跡にくっついて與杼神社(与杼神社 よどじんじゃ)があった。これは知らなかったが淀城跡とは地続きなので足が向いた。
門前は京阪淀駅に接している。この乗降客の自転車やバイクが境内の奥までたくさん置かれている。境内は整備工事が始められていた。
問題なのはその神社名だ。與杼神社(与杼神社 よどじんじゃ)とはどういう訳なのか。当神社門前に掲げられている京都市の説明板やガイドには、応和年間(961~964年)に僧の千観内供(せんかんないぐ)が、肥前国(佐賀県)河上村の与度日女大神(よどひめおおかみ)を勧請した・・・という。
どうもここらへんにミステリーがある。当神社の由緒ではそれよりも古い延喜式(901年~)に当社の記述があるとしているのだ。「与渡日女大神」なんて認めていない!。それにここの祭神は豊玉姫命(トヨタマヒメノミコトと高皇産霊神(タカミムスビノカミと速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)だけしかないようなのだ。
与度日女大神(よどひめおおかみ)を勧進して・・・と聞くと、なるほどその名にちなんでここを「よど」神社としたのかと思ってしまうが、じつはワシは京都市が出しているこの神社の説明板を見たとき、「えっ?、よどっていう意味は祭神の名から来ているの?」と思い、クビをひねったのだ。
じゃあ、この地域の「よど」という地勢的な特長とどういう関係なのか。単に与度日女大神(よどひめおおかみ)を祀ったことで「よど神社」としたなら(京都市は具体的には断定してないが)地勢的なものは無関係だ。よしんば関係があるとしても地元の人が「ここは『よど』だから、同名の祭神として「与度日女大神(よどひめおおかみ)」を持ってこよう」と考えて与度日女大神を持ってきたかも知れないが、それは神社成立とは年代的に無関係だ。
これはちょっと問題じゃないのかな。京都市は神社の主張を無視していることになるし、神社側の説明の方が実際、説得力がある。名前が似ているからという理由で「あとから」祭神にしたなんておかしい。本末転倒もいいところだ。
まとめるとこうだ、ここらへんは「よど」という地勢的な特徴がある地域なので地名として「よど」とされていた。そして神社を建立するにあたって「與杼神社(与杼神社 よどじんじゃ)」を建てた。その祭神は豊玉姫命(トヨタマヒメノミコトと高皇産霊神(タカミムスビノカミと速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)だ。
だが、その後どういうわけか千観内供(せんかんないぐ)という僧が、肥前国(佐賀県)河上村の与度日女大神(よどひめおおかみ)を「読みが同じなので」勧請した。まあ、持って来ちゃったというわけだ。・・・とされている。
それがいつしか先後が逆転し与度日女大神(よどひめおおかみ)が来たから「與杼神社(与杼神社」になったとなった・・・というわけだ。
与度日女大神(よどひめおおかみ)なんて佐賀県だ。単にダジャレ的に同名というだけじゃないのか。ワシはやはりそれは全然無関係と思う。(前途したように少なくとも神社のサイトでは「それよりまえに神社はあった」としているからね)
そう考えると「勧進」ってどういうことなのか。すでにある神社に他の神様を持ってきたということなのか。百歩譲って神社を創建するから名前の似た神様を持ってきたというのか。
それにしても神社ではそんなことは「言われておりますが」と言うくらいで、祀られているとは言ってない!。本当に「勧進」なんてあったのか、それさえも疑問になってくるね。
実際、与度日女大神(よどひめおおかみ)なんて祀られてないんじゃないのか。
もっともワシの推論はせいぜいネットでの知識だけだから知っている人からは笑われそうだが、もちろん無知のなせる業なので間違ってたらソッコク訂正いたしますよ)
PS(08/01/28)・・・新証拠が出たわけではないが、「佐賀の与度日女大神の勧進」というのはガセであろう。千観内供も特に当神社と関係があったようでもない。別の地に名前の似た神社があるというので誰かがいたずらにこじつけたのだろう。現在、神社側でも認めていないようであるし、現状、根拠はないと言える。