最近考えた教育のはなし。

 

<幼児教育について>

この前の途上国に対する教育の授業で、ザンビアの教育支援に従事している方が来てくれた。

 

幼児教育って、正直途上国に必要なの?と思ってた。

特にアフリカとかのイメージは、自然の中で遊んだり家業を手伝ったり。

 

だけど、最近は幼児教育の潮流が来ているらしい。

幼児教育が必要なのは、大きくなってからいくらでもできるような教科の勉強をさせるためというよりは、規律や道徳の問題なんだそう。

これは先進国にも通ずることだと思うけど、特に途上国では、規律がないとアクシデントがあった時に律せない。

だから途上国では、そこから大きな事件に繋がってしまう可能性があるらしい。

 

めっちゃ納得した。

 

 

その先生が紹介してくれた、一節を貼っておきます

 

~ザンビア人の友達が語っていたこと~

私の子供時代はとても楽しい思い出ばかり

裸足で集落を歩き、時には親の手伝いをしたり、遊んだり

お金は確かになかったけれど、貧しいという意識はほとんどなかった

 

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本当に、自分がいいと思っているもの、信じているものを他の人にとってもそうだって思ってしまうことって怖い。しかもそれが違った時が悲しい。

いつか読んだ『嫌われる勇気』には、「他人の課題と自分の課題を分離するのが悩まないコツ」って書いてあったけど、国際協力や本当に親しい人との間ではなかなかそうもいかないと思う

 

けど、できる限り相手側に寄り添う意識を忘れないこと、

自分にとっていいものが他の人にとってもそうじゃないって、ゼロベースで考えるの大事だなって思う。

 

これに関連して、今日は世銀の人の話を聞いたんだけど、世銀という大きな機関はやっぱり開発、経済発展を推し進めている。

それを押し付けと呼べる余地が絶対にないのか、と言ったらそんなことはないんじゃないかって思う

経済発展がいいです!それこそ生活が良くなります!

って言われたら、途上国は従わない理由がないもんね。

 

 

 

 

<文科省の話>

東北のボランティア参加した時に、官僚志望の人が二人いて、校長先生たちとも一緒に諸官庁の話をしてた。

文科省は力が弱くて、文科省に入りたいとは思わないって言ってた。

財務省からお金は取ってこれないし、最近なんて文科省が経産省の管轄に入るかもしれないんだって。日本の産業を伸ばすための育成するということを大学の最終目標に据えるという解釈らしいけど、それってどうなのかな。

 

だけどどうして文科省の力が弱いのか、それは、教育に関わる政策がファクトベースの立案になっていないかららしい。

単純に省庁としてもそういう傾向にあるけど、でも教育って費用対効果を図るのが難しいって。

言われてみればそう。

最近1学級を30人にしましょう、って動きが出てるみたいだけど、確かにその方が先生の負担が減って良さそうではあるけど、それによってどんな効果が生み出せるかって定量的に図るのめっちゃ難しいよね。

校長先生もこれに関して、別に30人でも40人でもかわらない気がするわりには、一人教師を採用するのだって年間400万円以上かかるわけで、なかなか難しいし施策として疑問があると言ってた。確かに。

 

<教育支援をやってる後輩とちょっと話した話>

対人支援って本当に難しいよねって。

こっちが与えたいもの、こうなってほしいという考えと、相手がこうなりたいっていう思いが違う場合。

相手のwantが顕在化していない場合も多いし。

こっちが提示する選択肢によって相手をある意味狭めてしまうこともあるし。

一番上に書いた話とも関連すると思った。