最近オリラジのあっちゃんがやってるYoutubeチャンネルを見るのにはまっているのですが、その「サピエンス全史」の解説動画を見ました。

ホモ・サピエンスの特徴や生き残った要因の一つに、“虚構を信じることができる”という点があるとされているそうです。

 

例えばお金、というのも、紙切れに価値があるとみんなで信じて、その共通見解の下に成り立ってるにすぎないし、宗教も、国家という概念さえも、人間が創り出したものです。


私たちはホモ・サピエンスだから(笑)、私たちがいる地球を当たり前として捉えてしまうけど、でも地球の歴史で見たら私たちの歴史ってまだまだまだ浅くて。

ホモ・サピエンスが作り出した、資本主義というシステム。

富という虚構を手に入れるためならば、手段は選ばない。

森林は伐採するし、二酸化炭素は排出するし。

 

これまで環境保全!とか、動物を守ろう!って、ほぉそうなんだ、くらいにしか思わなかったのね。


でも今の地球を、ホモ・サピエンスが制圧した歴史とともに、ホモ・サピエンス帝国、というふうに名付けて見たら、確かに私たちは征服者。

そしたら、例えば歴史の授業で植民地化が悪として語られたように、私たちの存在も悪にしか見えなくなってくる。


せめて、地球にも配慮して自分たちの生活を便利にしたら?地球のことを考えずに、自分たちだけ進化しようとしたら、そりゃうまくいかないよね?って思う。

 

もちろん、人間の歴史の話でも正義や悪を定義できないし、人間相手の行為じゃ無いとしたらなおさら難しい。
けど、こういう考え方をしたら、ああ確かに人間のエゴばかりまかりとおっている今の地球に疑問を持ち始める人がいるのもわかるな、という気持ちになりました。


これじゃ人間滅びるだけだよね。
グローバル化も、人間が生み出した。
グローバル化の弊害ばかり目立つコロナ危機も、人間が自滅の道をはしっていることの裏付けもしれない。


こう考えると、良いものとして聞こえていた“サステイナビリティ”という言葉、その概念にすら、疑問を抱き始めてしまいました。

 

サステイナビリティっていって私がイメージするのは、

「地球が今後の世代にとっても残るように」っていうもので、多分その先に人間が滅びることは想定されてない。


人間と自然と動物が持続的に存続することが願われているのかなって思うけど(もちろん人によっても定義は違うでしょう)
それさえも人間のエゴであるとみることもできるのだなあと思ってしまいました。

 

いやはや。おしまい。