戦争を想定した時の平和とは何かを考えてみると、これには私の思いは乗らないことがわかりました。

 

ここに至るまでには数々の過程がありました。

国際関係論を学び始めたこと。広島に行ったこと。中国に行ったこと。国連機関や公的機関を訪問したこと。留学したこと。平和学を学び始めたこと・ウクライナに行ったこと。まだまだ書ききれませんが、全てが本当に貴重な経験で、これら全てで感じたことが今の私を形作っています。

 

 

まず国際関係には主権国家体制が深く根付いているなあと改めて思ったことが大きいです。

 

 

夏に参加した、日中韓台の国際会議。

あれほどまでに自分の中に確固としてあった、「平和主義の国日本として、またそこに生きる日本人として、平和を世界に訴えていきたい」という考え方。

これには一理あるし、自分で言うのもあれだけど、今でも素晴らしい志だと思っています。

 

でもそれが、必ずしも中国、韓国に生きる人にとっても素晴らしいと思える考え方であるとは限らないということ。

 

戦後日本が「敗戦」という記憶を解釈しようとした時に、「戦争が悪かった」「戦争は繰り返してはならない」という形になったということは、見方によっては自分たちの行動をなるべく正当化しようとしているようにも見えるということ。

 

 

 

そしてウクライナで訪れた戦争博物館。

 

反ロシア感情や、東方地域ではロシアが関与している戦争であるドネツク紛争などを抱えているこの国の博物館では、建物の外にまで戦車や戦士たちの大きな像が飾られていました。まるで軍事博物館のようでした。

 

少なくとも私には、自分たちはこんなにも軍備があって、敵であるロシアに立ち向かっているんだ、というふうなメッセージを伝えようとしているように見えました。

 

例えば、日本では戦争について伝えることで「自分たちはこんなにも戦いを頑張ったんだ」というメッセージが伝えられることは珍しいと思います。むしろ戦争中の兵士の姿を格好良く描いたとしたら、批判を受けるのではないでしょうか。

日本では、やはり「戦争は繰り返してはならない」ということが語り継がれています。

 

しかし同じ「戦争」というトピックでも、ウクライナがそれについて語ることで伝えようとしているものは、究極的には「争いのない世界」というよりは、「ウクライナ人の勇姿」であるように思えたのです。

 

 

 

結局どの国も、自分の国を正当化するし、守るし、記憶さえ表現方法さえ自分たちの都合の良いように解釈できてしまう可能性があることがわかりました。

 

メディアを通じて報道されるニュースや博物館などで語り継がれる戦争の記憶は、語り手が伝えたいメッセージをベースとして、解釈のプロセスを経て選択された事実にすぎないとも心から思いました。

 

 

とても悲観的でリアリスト的ですが、国際関係においてはやはり「国家」というものの存在が大きく、国家が自らの存続のために内外に対して動く、その働きを以って国際関係があるのではないか。

 

ここまで考えて、平和とは何か、という問いに戻ってみた時に、戦争の反対=平和、という考え方がもはや成り立たないことがわかります。

 

国家がそれぞれの思惑のもとに動いているとしたら、平和という規範のもとに集まったところで、それは平和という言葉を独自に都合のいいように解釈してふるまっているだけだからです。

 

 

まだまだ自分の頭の中がぐちゃぐちゃしていますが、国家を人に例えつつ、ここまでの私の考えを説明してみると、

 

今までは平和というものを掲げて、人と人が仲良くなり、傷つけ合わないでいる世界ができたらいいな、と思っていました。

でも人はみんな自分のことが一番大切で、平和のために行動しているとか戦っているんだとかといっても、そのアクションは自分にメリットがあるからこそ行われているものだし、ものは言いようで、本当は自分のためにやっていることでも、いかにも人のために行動したのだ、みたいに語って見せることもできることがわかった、ということです。

 

そう思うと、人と人が仲良く互いに傷つかない状態としての平和って、とっても空虚だなあと思いました。

 

 

ここからはまだぼやっとした気持ちなのですが、じゃあ何がしたいのかなと改めて考えてみると、

「はいみなさん仲良くしましょう、人を傷つけてはダメですよ~」と言う役に徹して、国際関係という場を俯瞰的に管理するアクターとして、平和という決して達成されることのない規範に時に悲観しながら活動するよりも、

「自分が一番大事だけど、それでも自分として誇りを持って人と関わるために、自分らしくなるべく”善く”生きよう」というプレーヤーになれたらいいのではないかなと思いました。

 

 

だからきっとずっと平和というものは心の中にあるけど、

「平和主義を掲げる日本に生きる日本人として、平和を訴えていく」

これは世界全体にではなく、まずは自分に対して発信し、アイデンティティとして持っておきたいなと思ったということです。